村の人口推移を見てみると、80年に6千人だった人口は、90年代に8千人を超え、今年3月末時点で9630人。このうち、社宅や寮に住むのは1961人と、村民の2割にのぼる。同社によると、今年も新入社員約250人のうち約140人が入寮したという。大企業の力で、人口1万人の大台突破は目前だ。

「観光客も移住も多い町」と三科さんが話すのは、北海道倶知安(くっちゃん)町。人口は1万6千人ほど(2018年3月末現在)だが、上質なパウダースノーが魅力のスキーの町で、観光客入れ込み数は年間150万人にのぼる。隣接するニセコ町などと「ニセコ」エリアをつくって経済を支えるのがインバウンドだ。冬のスキーシーズンは、長期滞在する外国人観光客やホテルなどの従業員たちで、物件は奪い合いだ。アパートの家賃相場は札幌市より高いという。地元の不動産会社によると、年間の取引の8割は冬季(11月末~4月)に行われ、購入者は外国人。近年は台湾、シンガポール、タイなど、東アジアや東南アジアが多い。

 町の外国籍住民数は、夏から秋にかけては数百人でも、冬は約3倍に膨れ上がる。徐々にその数も増えてきており、15年8月は336人、12月は1045人だったが、17年8月は554人、12月は1572人に。

 スキーやラフティングのツアーを企画・運営する「NAC(ニセコアドベンチャーセンター)」のロス・フィンドレー代表は、1991年に町に移住した。「だいたい長期滞在で、町に出かけ町のものを使う。レストランやカフェだけでなく、スーパー、ガソリンスタンド、美容室……。何から何まで使っているから、経済効果は町の遠いところまで届いている」

 フィンドレーさんは「夏のニセコ」を作り出した張本人だ。スキーシーズンが終わると沈黙するリゾート地を目の当たりにし、「やることがないと人は集まらない」と、尻別川でのラフティングに目をつけた。夏も楽しめるアクティビティーを次々考案し、パウダースノーで知られる世界的観光地に「夏の顔」を与えた。

「日本人移住者も少しずつ増え、町は生き生きしている。ビジネスチャンスはたくさんある」(フィンドレーさん)

 三科さんが手掛けている地方創生で「おもしろい」と位置づけているのが長野県木曽町。木曽町や南木曽町などで形成される「木曽エリア」は観光が主要産業だったが、2014年の御嶽山噴火で窮地に立たされた。「『(噴火の)映像を見ていない人を呼ぼう』と、米国、EU、オーストラリアなど英語圏のインバウンドへかじを切った」(三科さん)。宿場町が残る中山道を歩くトレッキングツアーは、4泊20万円超の高額設定にもかかわらず、外国人に人気だという。また、「開田のポッポ屋」という小さなイタリアンレストランが、トイレの貸し出し看板を出したことがきっかけで外国人観光客の評判を呼び、人気に拍車をかけているようだ。(本誌・緒方麦)

週刊朝日  2018年5月18日号より抜粋