さらに佐吉は、国内での成功を得て中国への進出をもくろんでいた際に、反対する社内に対してこう語った。「障子を開けてみよ。外は広い」。これからの時代、オープンでグローバルな視野が必要と佐吉は考えていたようだ。実際、佐吉は今から100年近く前の1919(大正8)年、上海に紡織工場を建設するために、永住の覚悟で移住した。

 その佐吉の長男、喜一郎は紡織機の開発・改良に注力しながら、自動車事業に乗り出した。トヨタ社内で今も語り継がれるのが、「1日3回以上手を洗わないような技術者は、ものにならない」。これは喜一郎がよく発した言葉だとされる。

 喜一郎は、技術者の手が油で汚れていると、機嫌が良かったそうだ。設計を担当した技術者が自ら現場に赴いて図面通りモノができているかを確認しているかを重視したのだ。これが「現地現物」を大事にするトヨタの現場主義につながった。

 現在でも、トヨタのホワイトカラーはワイシャツ、ネクタイの上に、ねずみ色の作業着(通称ナッパ服)を着て仕事をする人がかなりいる。喜一郎の直孫である現社長の章男も執務室ではナッパ服を着ている。これは、いつでも現場に飛び出していけるという姿勢を示している。

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