戦後、トヨタは赤字に陥り、大規模な労働争議が発生。朝鮮動乱の特需で危機を乗り越えた。戦後の混乱期に、親会社の豊田自動織機からトヨタ社長に転じたのが石田退三だ。その至言は「自分の城は自分で守れ」。こうした発想が、トヨタの無借金経営の礎となった。

 戦後の混乱を経てトヨタを世界的な企業に育てたのが中興の祖と呼ばれ、社長、会長を務めた豊田英二だ。

「自動車が孫悟空のきんと雲のようになれば理想だね」。英二が1983年、経済評論家との対談で語ったとされる言葉だ。英二が技術者としてイメージしたのは、簡単に操れて行きたいところに自由に行ける交通手段だろう。

 それから三十数年経ったが、今や自動運転、シェアカーの技術・サービスが誕生し、さらに進化していく。英二が想像した時代が近づいている。米国企業のテラフージア社は「空飛ぶクルマ」を開発中で、コンセプトモデルを公開。トヨタの社員ら有志も団体「カーティベーター」を設立、空飛ぶクルマ「スカイドライブ」の開発を急いでいる。

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