黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」 (4/6) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」

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黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

――そういえばスタジオに百恵さん一人しかいらっしゃらなかった回があったそうですね。

 そうそう、みんな中継で、スタジオに3人だけになったことがありました。それでプロデューサーに、こうなったらゆっくりお紅茶を飲むのどうかしらって提案したんです。当時教えていただいたばかりだった、りんご茶を淹れることにして。りんごの皮を全部剥いて、ポットに入れて、お紅茶入れて。しばらくすると蒸したりんごの香りがつくから、それを飲みましょうって。カップも家から持って行きました。

3人で座って飲んでいたら、百恵ちゃんがふっと、「こういうのいいですね」って言ったんです。そのとき、百恵ちゃんって穏やかに、家庭的に過ごすのが好きなんだなって思いました。実際そうなりましたから、印象に残っていますね。

――ベストテンは中継も多く、生放送ならではのハプニングも多かったと思うのですが、大変だったことはありますか?

 本当に毎週のようにいろいろありましたよね。あまりにもたくさんあって覚えきれないくらいでしたけど……。

聖子さんだったと思うけれど、新幹線が停まっている間に駅で歌うという中継があって、曲の終わりのほうで、もう間に合わないというので新幹線に押し込んで。発車しても車内で手を振りながら歌ってくれたんです。あれはすごかったわね。

ほかにも、サザンが1位になったお祝いに生きている鯛を贈ることになったんですが、私が手で持ったらピチピチ跳ねて、落としちゃったんです。怖かったのもあって、あなたにあげるんだから、早く拾いなさい!バタバタしてるじゃない!って叫んで(笑)、桑田さんに拾ってもらいました。そのときは本番中だから必死でしたけど、あとで考えたら、相当ひどいわ私、って思いました(笑)

いちばん印象深いのは、私が夏休みでノルウェーから中継したときだったかしら。(山口)百恵ちゃんが1位になったので、現地の方に『山口百恵1位おめでとう』って書いてもらった紙を巻いて、上から垂らして見せようとしたら、巻物のままボタッと落っこちてきたの(笑)。ベストテンって、なぜか毎回仕掛けがうまくいかないんですよ。くす玉が開かないとか、開いても中の巻物が垂れてこないとか。プロデューサーがいつも放送が終わってからすごく怒ってたわ(笑)


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