黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」 (2/6) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日
黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

やっぱり、番組にはじめてお出になったときのことを覚えていますね。桑田(佳祐/サザンオールスターズ)さんは、どこかのライブ会場からの中継だったんです。それで私が、それは歌声喫茶みたいなところですか、って聞いたら、黒柳さんそれはいくら何でも古いですよ、とか言われてね。そのときだったか、桑田さんが歌の間にノイローゼ、ノイローゼ、って叫んでいたので、この人たち大丈夫かなってちょっと心配になっちゃって(笑)。何かしでかしゃしないかしら、そのときは私が「みなさま息子が失礼いたしました」って言えばいいかしらって考えて、「息子よ」って呼ぶようになったんです。そうしたら桑田さんも私のことを「お母さん」って言ってくれて。何かしでかすどころか大変よくできた息子で、いい曲をどんどん作るようになってびっくりしました。 原(由子)さんとの結婚報告もベストテンの番組中でしてくれたし、子どもができたときも、そっと教えてくれたりしたんですよ。

(松田)聖子さんは、独特ないい声だな、歌がうまいな、って思いました。初めて「青い珊瑚礁」でランクインしたとき、羽田の飛行場で歌ったんですけど、久米さんが「こんなに細々していて、芸能界でやっていけるかな」って言ったんですよ。私はそんなふうに思わなかったので、久米さんがそう言ったことを本当によく覚えているんです。あとあと、久米さんは本当に女の人を見る目がないなって(笑)。

――聖子さんはどういう印象だったのでしょうか?

聖子さんはランクインする前に「スポットライト」で初めて番組に出たんですけど、ほかの歌手のみなさんが番組中に出す飲みものは何でもいいですっておっしゃっているなか、一人だけクリームソーダがいいって言って、放送中にソファでアイスを食べていたんです。それでちょっと、大物かもしれないって思いました。初出演で、私だったらクリームソーダなんて食べられないわ、って(笑)

――聖子さんが「嘘泣き」と言われるきっかけになった放送で、黒柳さんはずっと、本当に泣いていたとおっしゃっていたと久米さんから聞きました。「青い珊瑚礁」で初めて一位を獲得、福岡のお母さんと中継がつながって「おかあさ~ん」と涙声で言ったときのことです。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい