黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」 (6/6) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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黒柳徹子「ベストテンは特別。私たちも、歌手の方も、命懸けで出ていました」

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黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)/1933年、東京都生まれ。NHK専属のテレビ女優第1号として活躍。78年の「ザ・ベストテン」放送開始から89年の番組終了までの約12年間、司会を務めた。日本初のトーク番組「徹子の部屋」、著作『窓ぎわのトットちゃん』などで広く知られる(撮影/下村一喜)

 そういう価値観が合っていたのが、私と久米さんだなって思います。何の打ち合わせもせず、本番でうまくいってたのって、やっぱり価値観が同じだったからだと思うんです。

一番大きいのは、番組で広島を取り上げたことでしょうね。8月6日がベストテン放映日の木曜日で、しかもその日に広島から中継が入るなんてことはまずないことだからって、原爆で瓦礫と化した写真も出したりして。プロデューサーの山田さんは何もおっしゃらなかったけど、音楽番組でやるって言ったら随分反対もあったと思います。そのときも久米さんが「黒柳が泣いて言ってますからみなさん聞いてやってください」って言ってくれて。

私たちが大事だと思うことを若い人たちに知らせなければいけない、それはベストテンのようなたくさんの人が観ている番組でやることに意味がある、って思っていたんです。久米さんとはそういう大切なところをわかりあえていたので、本当によかったと思っています。あとはぐちゃぐちゃでもね(笑)

――黒柳さんにとって、ベストテンとはどのような存在でしたか。

遅く来た青春ね。よくマッチ(近藤真彦さん)に言うんです。あなたがベストテンに出ていたころ、今のあなたより私は若かったのよって。信じられないって言われますけど(笑)

(取材・文/本誌・伏見美雪)

週刊朝日 2018年2月9日号より加筆


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