――体調不良ということですが、今後はKEIKOさんも介護が必要です。

 何はともあれ、ホントに頭の中が混乱していて、どうしていいかわからない、正直。どうやって守っていくか、考えなければいけないが、今こうやってお話している報告が先だなと思ってお話している。今はまったく頭が混乱していてどうしていこうかなという気持ちです。

――夫婦間で少し距離をとって、ストレスのない生活を考えていますか?

 現代病といえばそうなのかもしれないですけれども。非常に四方八方から前にも後ろにも右にも左にも動けない状態がずーっと続いたので。今ほんとにキーンという音がずっとしているんですが、これもわかってもらおうとしても難しいと思うんです。これが消えるのかという疑問もあります。

――今回のことでA子さんは何て言ってましたか。

 見守っていると。きょうの会見を。

――引退のことはお話になりましたか?

 はい、しました。もったいないと言ってました。

――音楽生活を振り返って?

 93年、94年から2000年くらいがブームだったと思うんですけれども。それが、一番基準になりまして、それを超えることはできないですし、それを下回ると期待に応えられないという感覚ですね。あの時代の曲は素晴らしいねと言ってくださる方が一番多いので。そのレベルというのは時代の流れもありますが、あれを基準にしてしまう。そこから上じゃないと。枚数ではないんですが、それとの比較というんですかね。何かこの時代、何をもってミリオンセラーというのか、数字が定まってないので、それを模索するというのは難しいんですけど。

――A子さんには愛情に近いものなんですか。

 どうなのかな。作詩でも愛という言葉を使うことが多いんですけれども、あまりに広すぎて、例えばですけど、KEIKOも最初の時には恋愛感情ではなかった。globeという、ボーカリストとしての愛情だったし、結婚してから恋愛感情というものは当然あったと思いますし、病気になってからはそういった愛情ではなくて、無償の愛という言い方なのかわかりませんけど、何がどうあれ、いとおしいというような愛情であったりとか。ひとりの人でもそれだけ変わるので、この短い時間で表現するのは難しい。

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会見の最後に語った超高齢化社会を生きる日本人への言葉