作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、会社にかかってくるイタズラ電話に憤りを覚えたという。

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 会社にかかってくる電話は基本的にはスタッフが取ってくれる。だから先日、久々に自ら取った電話がいたずらエロ電話だったとき、女が性に関わる仕事をしている現場って、こうやって邪魔されるんだよなぁと、改めて気がつかされた。スタッフは毎日この手の電話に仕事を中断させられているのだと思うと、やりきれない。「いたずら」というものの、本質はセクハラだ。女性の声で性的なことを言わせたい、それだけのためにある種の男は時を費やし、女は時を心を損なわれる。

 ある日、同じ人からのセクハラ電話が1日続いたので、たまたま会社にいた会計士の男性に電話に出てもらったら、一発で止んだ。出た本人が驚くほど、一発で消えた。女性の抗議はむしろセクハラ男性を助長させるが、見知らぬ男性が「オレはここでお前が何をしているか知っているよ」と存在感を出すだけで、セクハラ男も我に返るということなのだろうか。

 例えば少し前。少年ジャンプで、漫画の女性キャラクターの“ほぼ全裸”表現が話題になったとき、抗議した女性たちを嘲笑するような声は多かったが、男性が抗議の主体になれば少しは変わるのだろうか。少年ジャンプは、水着をはがされほぼ全裸にさせられた女性キャラクターが涙を浮かべ羞恥している様それだけを、面白いエロのように明るく見せていた。その明るい表現を支える日本のエロの陰湿さ、そしてその陰湿さを子ども雑誌で共有する大人の厚かましさに驚いたが、結局、セクハラ電話と同じだろう。女が性的に羞恥することを男たちがエロとして消費する。誰かまともな男性が一言、「キモイ」と言えば済む話なのかもしれない程度のことに、女たちがすり減らされてる。

 最近、男性にセックストーイについて話す機会があったのだが、社会的地位も経済力もあるという50代男性たちとの性の会話は惨憺(さんたん)たるものだった。彼らは脈絡なく「で、あなたはどんなバイブを使うの?」と皆の前で聞いてくるのだ。おいおい勘弁してくれよと無視していると、男また聞く私無視の繰り返し2回。耐えられなくなった知人女性が「ご想像にお任せします~」と笑い、彼も笑い私は立ち上がった。私は修行半ばだと思う。でも、こうやって、やりたくもない方法で、男の気分と場の空気を維持する術を女は身につけてサバイブするんだよね。それがまるで「賢さ」であるのだと、自分自身を納得させながら。

 帰りの電車で『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)を開いた。久しぶりのドストエフスキーを夢中で読んでいたら、50歳くらいの男で、何不自由ない暮らしをしている男なら、時には自分の意に逆らってでも、つねに自分に尊敬を抱くようになる、という一文があって、笑った。そうだよね、意味不明な自分への尊敬。それが男の強みだ。そしてその尊敬は、女たちが支えている。19世紀のロシアも21世紀の日本も、相も変わらず男性社会で。良き男性が増えることを祈るしかない気持ちだ。

週刊朝日  2017年8月18-25日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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