落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「ブラック」。

*  *  *

 浅草演芸ホールの出番前。楽屋でお茶をすすっていると、客席から大歓声が聞こえてきた。

 高座ではバービー人形みたいなフリフリのドレスを着たメスゴリラが暴れている。……と思いきや、骨太色黒の小柄なお姉さん(年齢不詳)がゴリラの真似をして舞台狭しと歩き回り、酒ヤケハスキーボイスのニューハーフ風お姉さま(同じく年齢不詳)が髪を振り乱してつっこんでいた。そしてその光景を見て、気がふれたように笑い続ける日曜日のお客さん。これを「平和」というんだな。

 ご存じ、東京漫才のすず風にゃん子・金魚のお二人だ。え? そんなに「ご存じ」じゃない? だったら寄席に来てみて。一度見たら頭蓋骨の内側にこびりついて忘れられなくなるから。

 我々後輩からは「にゃん金先生」と慕われているお二方。ボケの金魚先生の十八番は「ゴリラ」。漫才の最中に前触れもなく、急にゴリラの真似で舞台を行ったり来たり。慣れないお客さんは「マズいもの見ちゃった……」という顔で曖昧な笑顔。常連さんはわざわざ持参したバナナを手渡し、舞台でそれを頬張る金魚先生(元・保育士)。

「そんなことしてて恥ずかしくないのっ!?」というにゃん子先生のツッコミに、金魚先生の「仕事ですからっ!!」の返しで落とす。そう、「仕事」なのだ。

 金魚先生、近くで見ると褐色の肌が白いドレスに映える。地黒なうえにゴルフ焼け。「必ず『沖縄出身?』って聞かれるの!」とこぼす金魚先生は北海道・恵庭出身。数年前、恵庭の落語会の楽屋に「いつも娘がお世話になってます……」と老夫婦が訪ねてきたが、金魚先生のご両親だった。あの折は食べきれないほどのトウモロコシとゆで卵、ありがとうございました。

 ツッコミのにゃん子先生のマスカラも白い肌によく目立つ。まばたきすると大風が起きるくらいのまつ毛。「どんなに飲んでも二日酔いをしたことがない」ほどの酒豪。

 
 漫才師になる前は女優、歌手デビューもしている。女優時代は今村昌平監督の映画『楢山節考』の「松やん」役。元・カンヌ女優である。濡れ場もあるというので一度観てみた。真っ暗い映画で重い気分になったが、「猛獣使い」になる前のにゃん子先生(高田順子)は美しかった。いや、今も美しい。「日本一2リットル入りの甲類焼酎ボトルの似合う美女」である。

 にゃん金先生の後のホコリっぽい高座に上がると、お客さんのざわつきがなかなか収まらない。最前列の子供がゴリラの顔真似をしながら私の落語を聴いていた。ゴリラは伝染るらしい。

 高座をおりて、楽屋のテレビでワイドショー。ブラック企業に勤める匿名サラリーマンのインタビューが流れていた。

「仕事だから仕方がない。いま辞めるわけにはいかない……」

 重苦しい閉塞感。「仕事」だから辞められない? 「仕事」だから辞められるんじゃないかね? 金魚先生のゴリラ、こんな人にはぜひ見てほしい。どうにもならないと思ってたコトがホントにどうでもよくなってくる。「仕事ですからっ!!」の絶対的な軽さ。癒やされるよ。

『上野のパンダ』より『金魚のゴリラ』。金魚先生、もう何年も前から「年金もらってる」という話だから、いつまで見られるかわからない。本当かなー。

週刊朝日  2017年7月14日号

著者プロフィールを見る
春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

春風亭一之輔の記事一覧はこちら