ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、先日亡くなった「野際陽子さん」を取り上げる。

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 80年代・90年代のテレビドラマの主人公たちは、いつも当時の自分よりひと回りぐらい年上で、そんな主人公たちの親を演じるベテラン役者の方々は、自ずとテレビの中の母親像・父親像となっていたわけで、とりわけ私にとっての『母親役』の象徴は、昨年亡くなられた白川由美さん、そして野際陽子さんでした。80年代後半から90年代中盤のTBSドラマには不可欠な、洋装でお化粧こってりの優雅な母親を一手に担っていた白川さんとは対照的に、『冬彦さん現象』を巻き起こした『ずっとあなたが好きだった』(92年)を皮切りに、同じくTBSで一世を風靡した野際さんは、古風ながらもチャキチャキとした、平成の世を生きる和装の母親・姑像を確立しました。

 あれから早25年近くの時が経ち、ついに野際さんまでもが逝かれてしまった。冬彦さんの母に代表されるような、ひたすら怖い役もさることながら、特に好きだったのは『ダブル・キッチン』(93年)での姑と、『スウィート・ホーム』(94年)で演じたお受験塾のカリスマ教師。いずれも山口智子さん相手に丁々発止をする天敵なのですが、最終回では必ず厚情極まり『鬼の目にも涙』なシーンがあって、私もいつからか野際陽子の涙を観ると貰い泣きをする習性が身についていました。野際さんの涙というのは、容赦ない厭味や意地悪を多重音声の如く畳み掛けて、最後の最後に「だけど私が元気でいられるのは、敵であるアナタ(嫁や弟子)がいてくれたからよ(泣)」と、反抗期の果てに辿り着いた中学校の卒業式みたいな気持ちにさせるのです。

 名曲『非情のライセンス』張りの高声で捲し立てたかと思いきや、ふと独り言のようなトーンと間で語り掛けてくる。多くの役者さんが持つ演技メソッドではありますが、あの絶妙な情緒の高低差と台詞回しのリズム感は、まさに『野際節』。奔放な性(さが)をダダ漏れにし、周りをすべて食って、画面からもはみ出すタイプも大好物ですが、野際さんほど飄々と粛々と演じ続けた不敵な女優は他にいないでしょう。

 
 後年は着物姿のイメージが強い一方で、実は洋装のとっぽい母親役も颯爽とキメてらした野際さん。特にバブル世代の傑作『抱きしめたい!』(88年)で演じた浅野ゆう子さんの母親役は、戦後の日本女性の最先端をフル装備した『未婚のキャリアウーマン・マザー』という、主役のW浅野以上にあの時代を象徴するイケイケな役どころでした。2013年のスペシャル『抱きしめたい! Forever』でも、変わらぬ存在感を示していた野際さんの最後の台詞。「縁はなくとも愛し愛された。それだけは幾つになっても女の宝物」「生きてくの。来た道に自信を持ち、行く道を恐れず」。そのままブルゾンちえみが言いそうです。

 NHKアナウンサーを経てソルボンヌ大学に留学。帰国後、日本で最初にミニスカートをはき女優に転身。さらには当時の芸能界最高齢(38歳)での出産。千葉真一さんとの離婚会見での名言「私、妻下手(つまべた)なんですね」など。常に新しい『女の流儀』を切り拓いてきた野際さんだからこそ、古風な和装にも説得力を持たせ、どんな突飛な役柄も画面に収めることができた。「35億? そんなに男がいたらこっちの身が保ちませんよ!」。飄々とぶっ飛び続けた野際さんに、最後に突っ込んで頂きたかったです。

週刊朝日 2017年6月30日号

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ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

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