放送作家・鈴木おさむ氏の『週刊朝日』新連載、『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は「ガラケー」と「スマホ」をテーマに送る。

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 我々、1970年代生まれの人たちは子供の時にファミコンが誕生し、中学くらいで「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」シリーズが発売され、テレビゲームの虜になり始めた世代。1980年代にはCDプレーヤーが家庭で普及したりして、僕らの親の世代は「最近、色んな機械が出てきてわからない」と言っていたことでしょう。僕ら団ジュニ世代は、バブル期に流行った最新の機械を使いこなしてきた世代なんです。文化の先端を走っていると思っていた世代。そんな僕ら団ジュニ世代に突きつけられたものがある。それは「スマホ」です。

 僕らの世代から上の人にある傾向が見られます。それはスマホとガラケーの2台持ちです。

 僕は仕事がら電話をすることがとても多い。だからガラケーなんですが、正直、いまだにガラケーのほうが便利だと思っています。ガラケーを使っていると、たまに「あれ? まだガラケーなんですね?」と言われて「スマホも持ってるんだけどね」とついつい言ってしまいます。スマホを持っていたとしてもガラケーのほうが便利だと思うならそれを主張すればいいのに、言い切れない。

 そして最近はガラケーを使うときに、わざわざ机の上にスマホを出して、先に「スマホも持ってるんだよ~」とアピールする自分がいる。周りの40代を見てると、スマホだけ使いこなす人もいるが、やはりガラケーも一緒に使ってる人が多い。

 
 僕自身、スマホでインスタもやりこなしているし、LINEも使うし、SNOWで顔交換も行う。だけど、正直、ガラケーでメール打つほうが楽だし、充電も持つし、便利だと思ってしまう。が、我々団ジュニ世代は、最新機械を使いこなしてきた世代であるので、スマホの登場により、新しい文化に戸惑っているところは見せたくないのだ。変なプライドがある。こんな僕らのように戸惑ってる団ジュニもいれば、新しい文化に負けたくない、乗りこなしていたいという気持ちから、やたらスマホや機械に詳しい団ジュニ世代もいる。20代のそういうものにナチュラルに詳しい世代と比べると、やはり努力臭が強い。同世代の僕からするとその努力が若い世代に見透かされているんじゃないかとドキドキしている。

 スマホの登場により、若いと思ってた自分たちがちょっとずつ仕分けされている感を感じるこの頃。

 で、スマホや携帯でもう一つ。40代を過ぎてから変化が起きました。それは亡くなった人の番号が増えてきたということ。自分の仕事の先輩だけでなく、近い年代の人も、病気で亡くなってこの世を去っていく。すると自分に残ったのは思い出と携帯番号だけ。消そうかどうか悩むが消せない自分がいる。たまに友達の番号を検索してる時に、ふいに、亡くなった人の番号が出てきて、思い出す。そうやって思い出すきっかけにもなるから、いいのかもしれないが。

 昨年、一緒に仕事してきた盟友の番号だけが、また携帯に残った。これからも、携帯には、かけてもつながらない番号が増えていくのだろう。それが我々団ジュニ世代。

週刊朝日  2017年6月2日号

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鈴木おさむ

鈴木おさむ

鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。

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