ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「くん付け男子」を取り上げる。
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相も変わらず、不倫だなんだとスキャンダル目白押しの芸能界ですが、私はちょっと羨ましくもあるのです。「倫理にあらず」なんて言われてみたい。元値が高いからこそ幻滅されるわけで、私のように女装してテレビに出るオカマなんぞ、所詮『不純の塊』。それ以上の真相や真実へのありがたみは無いに等しい、完全なる『スキャンダル・デフレ』の状態です。私は一生ベッキーにはなれない、それだけは断言します。
のっけからやさぐれてみましたが、今日は『スキャンダルに脆い清純派』のお話です。正統派アイドルというのは、否が応でも清純を求められがちです。むしろ清純な幻想や願望を重ねられてこそアイドル。男女問わず、どんな噂が立とうと、汚れなき処女性が勝たなくてはならない。かつて『のりピー』が事件を起こした際、すでに40近い子持ちであるにもかかわらず、やたら『清純派アイドル』と書き立てられたのは、漠然と更新され続けてきた『のりピー的イメージ』と、事の衝撃とのギャップが余りにも大きかったせいで生じた『錯覚』だったと言えます。「あの、のりピーが……!!」の「あの」は、もはやあの時点では消失しかかっていたと思うのですが、「そうであって欲しい」という願望というのは、言わば永遠なのです。
種類は違いますが、それを痛感したのが、昨年の『乙武くん騒動』でした。日本中が、ここぞとばかりに「まさか」「嘘でしょ?」「裏切られた!」と叫ぶ権利を得たような、あの空気は凄まじかった。いったいどれだけ清廉潔白なイメージの上に『乙武くん』は成り立っていたのかというメカニズムをひもといていくと、いろいろと複雑な気持ちになると同時に、そんな健全で幼気(いたいけ)で汚れなき『乙武くん像』を武器に、世間との関係性に腹を括って生きてきた彼の逞しさ、潔さ、そしてしたたかさに、他人事ながら気が遠くなりました。
「程よくヤンチャでいて欲しい」男性のことは、敢えて「くん」付けせずに、マッチやトシちゃん、ジュリーやサブちゃんのように、もっと近い距離感の呼び方をしてきましたが、80年代後半ぐらいから『男の処女性』への需要は高まり、ジャニーズにおいても、シブがき隊(ヤックン・モックン・フックン)以降「くん」付けが一気に増えました。また、互いを「くん」で呼び合う慣習も、ジャニーズ全体の『処女性』を、より強固なものにしているように思います。
さて、乙武くんがめでたく卒業し、現在の『くん付け男子』(ジャニーズを除く)の代表は、『氷川くん』『羽生くん』、そして何と言っても『さかなクン』ではないでしょうか。3人とも処女性高し! 『さかなクン、人妻と寿司デート!』とか相当ショックデカそうです。あ、そう言えば『成宮くん』も、「くん」でしたね……。
※週刊朝日 2017年3月24日号