ピープルは、メジャーへの登竜門「ヤマハポピュラーソングコンテスト」などに出場するように。しかし、いいところまでいくのに優勝はできない。「君のやる音楽は日本では受けないよ」といつも言われた。

 悔しさをバネに、杉は慶應の仲間と自らの音楽を追求し、在学中の77年、プロデビュー。竹内をはじめサークルの仲間が、レコーディングに参加した。「楽しかったし、心強かった」と杉は振り返る。

 大瀧詠一、佐野元春とユニットを組み、82年、アルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」を発表。「A面で恋をして」が大ヒットした。その後はソロの活動に加え、多くの歌手に楽曲を提供する。竹内もその一人で、慶應の先輩後輩の絆は今なお続く。

 早稲田も負けていない。80年代半ばからのバンドブームでは、学生時代を早大で過ごした個性派が存在感を発揮した。

 聖飢魔IIと爆風スランプは、「早稲田フォークソングソサエティ(WFS)」の出身者のバンド。真心ブラザーズは「早稲田大学ギターを楽しむ会(GEC)」の先輩後輩で結成された。その後のヒップホップブームに先駆けたRHYMESTER(ライムスター)は、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」の仲間によるグループだ。

「音楽サークルといえば、早稲田」。そんな雰囲気に憧れたのが、シンガーの土岐麻子。「女子校でバンドを組んでいたのですが、もっと本気で音楽に向き合いたかった。ならば早稲田に行ってバンドサークルに入るしかない。そう考えたんです」と話す。

 高校時代はとても早大に入れる成績ではなかった。一念発起、寝る時間以外は勉強につぎ込み、94年、第一文学部に合格。音楽サークル「Modern Music Troop(MMT)」に入部する。

「新歓ライブでギターがすごくうまい先輩がいて、憧れてここにしよう、と」

 先輩とは、Superflyなどのライブサポートを務め、ギタリストとして活躍する八橋義幸。当時はすでにOBで学生時代の接点はなかったが、土岐はデビュー後に一緒に仕事する機会に恵まれた。

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