「翔太は最近どうしてる。仕事は忙しいのか」

 独り立ちした息子とは、妻は今でも頻繁にやりとりしているようだ。

「あなた、心配なら自分で連絡してみてください。私には言いにくいこともあるかもしれないし……」

 仕事といえば人工知能(AI)の話題も最近よく耳にする。事務やコールセンターなどの職場で、人間に代わって活躍し始めている(注8)。私のような営業職はまだ大丈夫なようだが、翔太の職場は経理。いつまでその仕事があるのやら。暗い気分になってきたので、話題を切り替えた。今日の夜に予定されている北京冬季五輪(注9)のフィギュアスケートのことだ。

「今日は、早めに食事にして生中継に備えるか。羽生結弦選手が3大会連続で金メダルを取れるかどうか心配してたじゃないか」

 一緒に楽しもうと言ったつもりが、こう返された。

「当たり前よ。私がどれだけこの日を楽しみにしてきたか。あの装置は私が使うから、あなたはいつものテレビで見てね」

 あの装置というのは仮想現実(VR)が体験できるヘッドセット(注10)。高精細な「8K」放送に対応し、360度見渡せ、会場で直接応援しているような気分が味わえる。VRを使えば、海外旅行気分も味わえる時代になったのだ。ただ、高いのでわが家は1台しか買えていないが。

「わかってるって。ほら、着いたぞ」

 玄関を開けると、テレビの音がする。母が部屋で医療・科学番組を見ているようだ。特定のがん細胞を狙い撃ちする「分子標的薬」や、免疫を再活性化しがんを攻撃させる「免疫治療薬」が次々に開発されているとか、アルツハイマー病の画期的な新薬が近い将来実現しそうだとか。治療法が少なかった分野も変わりつつあるという。

 テレビを見ながら半分寝ていた母は、私の顔を見るなり、こうつぶやいた。

「誠、あんまり無理するんじゃないよ。体だけは大事にしないといけないよ」

 85歳になる母こそ、まだまだ元気でいてほしい。未来は悪いことばかりじゃない。そう思いながら、妻が待つ居間へ向かった。

【注釈】
1.自動ブレーキ 国土交通省によると、新車における自動ブレーキの搭載率は、2015年で約45%。20年までには、歩行者にも対応したシステムがほぼすべての車種に搭載される見通し。

2.自動運転 国交省によると、20年までに限定地域における無人自動走行移動サービスが始まる。25年をめどに完全自動走行が実用化の見込み。

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