だが、都も強気だ。知事が石原慎太郎氏に代わった99年11月には、当時の都の市場長がハッキリと移転の意思を表明している。

〈築地市場は、移転するしかない。40ヘクタールの用地について、候補地を挙げて検討した中で、豊洲が条件にかなう〉(都の市場長)

 都が望んだのは豊洲埠頭の西南側である「先端部」。ここは東ガスの工場跡地で、自社で利用する計画だった東ガスは「先端部」の売却に特に反論している。

〈先端部は、歴史的経緯や思い入れがある。(中略)先端部までこなくてもできるのではないか。先端部は、ガス操業していた場所で、土壌の問題もある〉(東ガス担当者)

 土壌汚染についても発言があったが、議論が深められた形跡はない。交渉は都が希望する「先端部」の6、7街区を取得するか、東ガスが提案する北東側の4、5街区で妥協するかのせめぎ合いが続いた。ちなみに今の豊洲市場が建つのは5、6、7街区で、土壌汚染が最もひどかったのは6街区。都は「先端部」にこだわって墓穴を掘ったことになる。

 こう着状態が続く中、00年5月には福永正通副知事(当時)がこう要請する。

〈豊洲地域が最適であり、ここしかないというのが東京都の結論です〉(福永氏)

 これを受けて、東ガスは妥協案などをさぐる質問書を都に送った。その中には、汚染について次のような問いもあった。

〈豊洲用地は工場跡地であり、土壌処理や地中埋設物の撤去等が必要です。弊社では、土壌の自浄作用を考慮したより合理的な方法を採用し、長期的に取組む予定でありますが、譲渡に当たりその時点で処理と言うことになれば、大変な改善費用を要することになります。これについては、どうお考えですか?〉(東ガス)

 だが、これに対する都の回答はそっけないものだ。

次のページ