2015年12月28日の日韓外相会談で結ばれた慰安婦問題についての日韓合意が維持できるかどうか、大変危うい状態となっている。

 慰安婦問題は長い間日本と韓国の間で懸案事項となっていて、日本側の誤れる報道もあって、こじれにこじれてきた。その慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決した」との合意がなされたのだ。

 そこで日本政府は、韓国政府が設立した元慰安婦を支援する財団に10億円を拠出することにした。元慰安婦への現金支給事業は着実に進んでいるという。合意の時点で生存していた元慰安婦の7割以上がこれを受け入れたということで、韓国ではほとんど報じられていないが、日韓合意は着実にゴールに向かって進んでいたのである。

 ところが、昨年12月に新たな事態が生じた。釜山にある日本総領事館前の公道に、慰安婦を象徴する新たな少女像が設置されたのだ。私有地なら民間団体が何をつくるのも自由だが、公道の場合は地元自治体の許可が必要となる。地元自治体は一度は少女像を強制撤去したが、世論の反発が強く、結局は再設置を許可してしまったのだ。日韓合意の韓国側の責任者である朴槿恵大統領は事実上の失脚状態であり、韓国政府は地元自治体の行為を放置している。

 これに対し日本政府は「領事館の威厳を侵害するので、領事関係に関するウィーン条約に抵触する」と主張し、撤去を求めている。それ以前にソウルの日本大使館前にも少女像が設置されており、日韓合意では日本政府が「公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念している」ことを韓国政府が認知し、「適切に解決するよう努力する」となっていた。

 
 ところが、朴槿恵大統領が糾弾されるなどして、実際にはソウルの少女像問題もまったく解決の方向に動いていない。日本政府が不満を覚えていたところに、釜山に新たな少女像が建設されてしまったのである。

 日本政府は1月6日、長嶺安政・駐韓大使と森本康敬・釜山総領事の一時帰国を発表した。韓国側に対する対抗措置としてだ。両氏は1月9日に帰国した。さらに金融危機時に通貨を融通し合う「通貨スワップ協定」再開に向けた協議の中断など経済面での措置にも踏み込んだ。

 リベラル派の新聞各紙は「日韓の国民感情を刺激しないような冷静な対応に努めるべきだ」と主張するが、私は日韓が本当に信頼関係を構築するためには、むしろ怒るべきときは怒りを表明すべきだと考えている。

 だが、長嶺、森本両氏の一時帰国は少なからず問題だと考えている。政府は2人を一時帰国させて、いったいどんなきっかけで韓国に帰任させるつもりなのか。

 昨年末に韓国で行われた世論調査では、日韓合意に賛成は25.5%で、59%が破棄を求めている。それに今年は大統領選挙が控えており、与党も野党も日本に厳しい態度をとらなければ選挙に勝てない。最大野党「共に民主党」の禹相虎院内代表は「日本政府が出した10億円を返すべきだ」とまで訴えている。日本側が求めている言質など韓国側からとれるはずがなく、何の言質もとれないうちに両氏を韓国に帰任させればソウルと釜山の少女像を認めたということになってしまう。かといって、いつまでも帰任させないと日韓関係は深刻な事態となる。政府の幹部は、その辺りをどのようにとらえているのだろうか。

週刊朝日  2017年1月27日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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