井伊:大柄で白馬に乗っている男装の麗人っぽく描かれていますよね。

安部:以前に徳川家康を小説にしたときに、取材で浜松駅でレンタサイクルを借りて井伊谷まで行ったことがあります。家康が(三方ケ原の戦いに)出陣して、浜松城に逃げ帰ってくるまでを思い浮かべつつ、地形はどうなっているかを見ながら。そのときに井伊谷は意外なくらい狭い土地だと思ったのです。けっこう純朴な家風だったのかなとも思えて。直虎は、子どものころから父親と遠乗りで馬と一緒に出かけていたのかもと想像しつつ、白馬に乗る男装の麗人というシーンを描きました。

井伊:そういう土地なのですね。私はいつも井伊谷に行くときは、お寺(井伊家菩提寺の龍潭[りょうたん]寺)を訪れるだけで、ほかの場所には行ったことがないのです(苦笑)。でも、いつか井伊谷めぐりをしたいなと思っています。

安部:いいところですよ。

井伊:安部先生の小説のタイトルは、「湖上の城」です。井伊谷には浜名湖があり、(家康の命令で直政が)転封した彦根には琵琶湖があります。国名も「遠江」から「近江」(「江」は「湖」の意)で、わが家は「遠い」と「近い」の差はあっても「湖」に縁があるのだなと思っていました。

安部:当時の湖は、水運の要です。琵琶湖なんて信長が安土城で押さえにかかったくらいの重要地点ですから。そこに領地を与えられた直政と井伊家の家臣は水運のノウハウをもっていたんだろうと思いますね。

井伊:だからなんですね。

安部:浜名湖から琵琶湖へというのはもちろん関連性があると思いますよ。現代の人事異動もそうですが、その人の適性を見極めて、力を発揮できそうなところに配置するわけですよね。

井伊:その彦根に転封された直政ですが、先生はどのような人物だったと思われますか?

安部:やっぱりかっこいいですよね。生きざまがね。徳川四天王のなかでは一番不遇なところから這い上がって、一番活躍した人ですから。戦に強いだけでなく、外交交渉に強く、また悪い噂が一つもないんです。残虐なことをしたとか農民につらくあたったとか、女性問題でどうこうということもなく。(構成 書籍編集部・大田原恵実)

週刊朝日 2017年1月20日号より抜粋