作品で圧巻なのは『明暗』です。吉川夫人も主人公の妹のお秀もいろいろ言うし、主人公は病院のベッドで好き勝手を言っている。世の中のエゴがあそこまで露骨に出るとその後はどうなるのか。未完の作品ですのでぜひ続きが読みたい。

『明暗』といえば、主人公の妻のお延が人力車で家に引き返したとき、車夫の詳しい描写は出てきませんが、ちょっと止めてと言われたであろうときの「はいっ」という返事や息づかいとか汗とか、家族を抱えた重さとかどこまでも想像が広げられるんです。そのあたりも漱石文学のすごいところです。

 芝居の台本は部屋にこもってじっくり考えます。いいなと思ったセリフも、実際に声に出してみるとだらだらした感じに思えて書き直すこともよくあります。どんどん削っていくのが大事で、そうしているうちに自分が何をやろうとしているかポイントがわかってきます。ひとり芝居を演じて調子がいい日は、私とその周囲の空気などもいっしょになって見てもらえると感じられるようになりました。

 頭で読むのではなく、肌と息づかいで読んだ私の感想を舞台にのせて、実際の人間が舞台で動き出した世界を表現する。そうすることで漱石さんが応えてくれていると思います。

 今年もひとり芝居の文豪シリーズをやり続けます。子どものころに読んだ漱石と中年になって読む漱石の違いがあります。目をこらして読んでいくといとおしくなります。これからも「私の漱石さん」みたいな感じで、演じた作品が宝物になりそうです。

週刊朝日 2016年12月30日号