71年に藤圭子さんと結婚し、翌年お別れしました。娘の宇多田ヒカルさんには会ったことはないんですが、いわゆる歌謡曲は歌わなくても、やっぱり声の質感、歌い方、似てるなぁと思います。短い結婚生活でしたが、影響はお互い受けたと思っています。そんな藤圭子という女性がいたからこそ宇多田ヒカルさんという存在も生まれた。今も、1年に1回、彼女の歌を歌うんです。感謝を込めて。

 新たな発見は、2002年に福山雅治さんが作ってくれた「ひまわり」という曲。50回、60回、今までやったことないぐらいテイクを重ねて完成したものを聴いてみたら、俺にこういう響きってあったんだという新しい部分を引き出してくれた。すごいなこの人、と思いましたね。

 95年に発生した阪神・淡路大震災で、72年のヒット曲「そして神戸」があらためて注目され、その年の「紅白」でも歌いました。震災で、愛する人、家族との別れの歌としてとらえてもらった。あらためて歌というものが、いろんな人に届いて、力になっているんだ、と歌の力を強く感じました。

 今、九州朝日放送の旅番組「笑顔まんてんタビ好キ」で、街の方々と触れ合っています。歌番組じゃないのに「歌ってよ」とよく言われます。それでアカペラで歌うだけでも、涙を流して喜んでくれたりする。ああ、歌ってきてよかったんだな、ヒット曲があってよかったなって思うんですね。

週刊朝日 2016年9月30日号