箕島-星稜戦の“隠し球”見抜く 甲子園の名解説・達摩省一氏が死去 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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箕島-星稜戦の“隠し球”見抜く 甲子園の名解説・達摩省一氏が死去

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1979年夏の箕島-星稜戦で三塁塁審を務めた達摩さん。延長十四回に、「隠し玉」で箕島の走者がアウトになったプレーをジャッジした (c)朝日新聞社

1979年夏の箕島-星稜戦で三塁塁審を務めた達摩さん。延長十四回に、「隠し玉」で箕島の走者がアウトになったプレーをジャッジした (c)朝日新聞社

 夏の高校野球中継、NHKアナウンサーの「達摩(だるま)さん……」との呼びかけが耳に残る人も多いだろう。

 昭和40年代の関西大野球部黄金期に監督を務め、高校野球の審判やNHKの高校野球中継の解説者として親しまれた達摩省一(せいいち)さんが3月13日、肝不全のため亡くなった。79歳だった。

 本人の遺言で家族が公表を控え、日本高校野球連盟と関大野球部が4月18日に発表した。

 大阪・寝屋川高、関大で投手だった達摩さんは1965年夏から審判として甲子園に携わってきた。82年に勇退後も高野連の技術・振興委員長などを歴任した。

 審判や連盟理事の同僚として、親交を重ねた永野元玄さん(80)は、「今はとにかく悲しく、寂しいんです」としのび、思い出を語った。

「一言で表すと熱血漢。フェアプレー、ファイト、フレンドシップという、私たちが尊敬していた元高野連会長の佐伯達夫さん(故人)の精神を受け継ぎ、常に選手のことを考え、改革に取り組む情熱はすごかったです」

 67~72年は高校野球を離れ、母校の関大監督として黄金期を築いた。72年には後に阪急でも活躍した山口高志さん(65)を擁して大学野球史上初の4冠を達成。当時はランニング中心の猛練習で、「明日が来るのが嫌になった日もありました」と振り返る山口さん。

「グラウンドを離れれば選手と一緒に酒を飲む。人情家で自分の意見を押しつけることは一切なかったです。私の仲人でもあり、おやじみたいな存在でした。当時で思い出すのは大学2年のとき。大事な試合で延長十六回かな。2死満塁のピンチを迎えて達摩さんがマウンドに来たんです。もう疲れたやろ、負けてもええわって。今でも鮮明に覚えています」


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