――そのせいで撮影終了後、別れがつらかったそうですね。

「撮影最後の日、どうやってジェイコブに別れを言おうか考えていたの。ジェイコブも、別れの瞬間をさけようとした。空港に向かうことになって、私が本当にさよならね、と言うと、突然抱きついてきて。撮影のとき毎日やっていたように……。もう涙が止まらなくて、空港に向かう車の中でずっと泣いていたの。どうしても潜り抜けなければならない過程だったけれど、つらかったわ」

――スクリーンで24歳のシングルマザーを演じましたが、あなたのご両親も幼いころ離婚し、ご苦労が多かったと聞きました。

「母は私の演技の夢をかなえるため、妹を連れてロサンゼルスに引っ越したの。あまり所持品もなく、おもちゃがひとつ。プラスチックの恐竜を持って私たちはロサンゼルスの小さなスタジオアパートメントに移り住んだわ。毎日マカロニ・チーズやラーメンみたいなものを食べて生活したものよ。質素だったけれど、母はイマジネーションがたくましく、私たちといつもいろんなゲームをして遊んでくれた。自分ではそんな毎日が楽しかったの。ただ厳しい現実を知ったのは10年ほど後のことよ。父が離婚を申し立て、母は当時、4千ドルだけの所持金でロサンゼルスに引っ越してきたの。知り合いもなく、7歳の子役が成功できるかなんて、全然わからなかったのに。失敗したら母は両親の家に転がり込むしかなかった。にもかかわらず、母は落ち込むこともなくイマジネーションで私の生活を楽しくしてくれたのよ」

――「ルーム」から学んだことは? 終わってからセラピーに通うようになったそうですが。

「セラピーで使われる比喩が面白くて興味が湧き、もっと深く知りたいと思ったの。また俳優として自分の内部、潜在意識について学ぶのは助けになると思ったから。『ルーム』から学んだ最大のことは、自分についてではない。母への尊敬の気持ちが高まったの。母への感謝の気持ちで胸がはりさけそうになったことが何度もあったわ。この映画を制作している間に、母が私にしてくれたこと、イマジネーションを大切に育ててくれたこと、逆境にめげずに生きてきたこと、苦労を子供の私に感じさせたことがなかったこと。自分の抱える痛みを他人、特に子供におしつけない、というのは人間として本当に立派なことだと思うの」

――「ルーム」という映画は、あなたにとってどんな映画ですか?

「テーマが難しい映画という第一印象を与えるけれど、最初の15分が過ぎれば、この映画はトラウマについてのメロドラマではないと気がつくはずなの。もっと広い意味での人生についての映画だと思う。大衆向け娯楽でもないし。観終わったときに何か新しい自分が発見できるような映画ではないかと思う。その点がエキサイティングなの。観終わった後で何かを発見できる映画がこうやって公開される機会がまだ映画業界に残っている、ということが嬉しいの。全ての映画が娯楽である必要はないと思うから……」。(ライター・高野裕子)

週刊朝日 2016年4月1日号より抜粋