「僕にとって、“変化”を感じることは、とても大事なこと。イスラエルに行くことが決まる前も、どこの国にするかまでは決めてなかったんですが、最低1年は海外に出るつもりでいました。イスラエルの人たちって、アートに触れる感覚が、すごくラフなんですよ。アートを高尚なものだと思って敬遠するようなことがなくて、あまり距離を置かず自由なスタンスで接してくれるので、そこはやりやすかった」

 話を聞いていると、“柔軟性”や“跳躍力”といった身体能力を表す言葉が、彼の場合、そのまま精神にも当てはまるような気がしてくる。生き方も考え方も、あくまで軽やか。でもそれと同時にいい意味での泥臭さや汗臭さ、人間臭さも感じさせる。

「『談ス』は、ストックホルム、ベルギー、日本と、3人であちこち移動しながら、行きあたりばったりで生み出されたものなんですけど、それも悪くなかったな、と(笑)」

“わかる人にわかればいい”と開き直るのでもなく、日本だけの成功に満足して小さくまとまるのでもなく、“肉体”という世界共通言語を使って、見る人との対話を試みる。「談ス」の場合はあえて、構成の中に「日本人同士だからこそ成立する“間”」を取り入れるようにしている。

「外国の人たちには理解できない“間”の概念を組み込んでいくのは、海外に20年暮らしている大植さんたっての希望でした。そこは、日本人3人だからできるパフォーマンスになっていると思います」

週刊朝日  2016年2月5日号