現在のデザイン界で最も成功している若手の一人なのは間違いない。

 父親が医師、兄は高級官僚という恵まれた家に育ち、多摩美術大学卒業後に大手広告会社の博報堂に入社。日光江戸村の「ニャンまげ」キャンペーンで頭角を現し、TBSのキャラクター「BooBo」などを手がけて2008年、35歳で独立。都内に個人事務所「MR‐DESIGN」を設立した。広報担当を務める妻は博報堂時代の同僚だ。

 華々しいキャリアは、五輪エンブレムの選考へとつながっていく。

 五輪エンブレムの応募は「東京ADC賞」など有名な7つのデザインコンペのうち二つ以上を受賞したデザイナーの作品計104点。相当の激戦だったはずだが、あるスポーツ紙記者は、

「『“サノケン”なら間違いない』と審査委員が思ったことは想像できる」

 選考は名前を伏せた状態だったというが、佐野氏の実績が最終選考に少なからず影響を与えたはずだと推測する。

 評価の一方、気になる声もある。博報堂時代の関係者は、

「上に可愛がられて引き立てられるにつれて、周囲には横柄になった。営業サイドからの要望を『俺は普通のデザイナーとは違う』と突っぱねる場面もあった」

 と振り返る。佐野氏の慢心が今回の騒動を引き寄せたとみるむきは少なくない。

週刊朝日 2015年9月4日号より抜粋