※イメージ写真
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 歌舞伎俳優で日本舞踊の坂東流家元として知られた十代目坂東三津五郎さんが2月21日未明、膵臓がんのため死去した。享年59。

 25日の本葬では著名人からファンまで約5千人が参列。「武士の一分」で共演した女優の檀れいは、

「昨夏、楽屋にご挨拶(あいさつ)に伺った際に、本当に嬉(うれ)しそうな笑顔で迎えてくださった。開演時間が近づいても、全然お話が止まらなくて。『始まりますので行きます』と言うと、『まあまあ、いいじゃないか』と。そのときの笑顔が忘れられません。それが最後だったと思うと、ずっと楽屋でお話ししていたかった」

 と大粒の涙を浮かべた。落語家の林家正蔵は、

「落語も歌舞伎のことも教えていただいた。お酒を飲んで何時間も話もしました。山田洋次監督の映画に出るときも、お兄さんからアドバイスをいただきました。とても出来の悪い弟分だったと思います」

 と号泣し、嗚咽(おえつ)が止まらなかった。

 遺骨をのせた車が出る際には、次々に、「大和屋!」「日本一!」と声がかかり、早すぎる死を悼んだ。

「40歳、50歳は、はなたれ小僧」といわれる歌舞伎の世界。まさに、これからというときだった。2013年7月に膵臓に腫瘍(しゅよう)が見つかり、9月に手術をし、療養生活に入った。

 その後、TBSのドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」に出演。

「ダメもとで打診をしたところ『復帰します。大丈夫です』と快く引き受けていただきました。最初の撮影は14年3月ごろ。生まれ持ったものというか、ピーンとしている雰囲気がありました。お顔も艶々(つやつや)していましたし、病気は完全に治ったと思っていたんです」(TBSテレビ同番組監督の福沢克雄さん)

 4月には、歌舞伎座の舞台「壽靱猿(ことぶきうつぼざる)」で復帰。8月にも舞台に立ったが、9月に肺への転移が見つかった。再度の療養生活に入ったが、体調は回復しているかに見えたという。

 11月には、BS朝日の歴史紀行番組「坂東三津五郎がいく 日本の城ミステリー紀行」(10年10月~11年3月)のスペシャル番組(今年2月15日放映)の収録にも嬉々(きき)として臨んだ。

 ロケに同行したテレビ朝日映像・プロデューサーの惣部潔さんは、いまだに信じられないと言う。

「療養中とは思えないぐらいお元気でした。『次はどこに行きましょうか?』とお話ししましたのに……」

 三津五郎さんは、「踊りの神様」として有名だった七代目三津五郎を曽祖父に持つ。根っからの「芝居小僧」で、いつも楽屋や舞台の裏に入り浸っていた。

 歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんは、三津五郎さんの芸の魅力をこう語る。

「表面的なきらびやかさではなく、磨き込んで使い込んで艶(つや)が出た革や木目のような、ジワリとした味わいのお舞台でした」

(本誌・永野原梨香、横山 健、牧野めぐみ、福田雄一)

週刊朝日 2015年3月13日号より抜粋