西武OB4人がパ・リーグ監督に 東尾修が“4人の素顔”語る 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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西武OB4人がパ・リーグ監督に 東尾修が“4人の素顔”語る

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修
ソフトバンクの工藤公康新監督は就任会見後、王貞治球団会長と握手を交わした (c)朝日新聞社 

ソフトバンクの工藤公康新監督は就任会見後、王貞治球団会長と握手を交わした (c)朝日新聞社 

 元西武ライオンズのエースで同チームの監督も務めた東尾修氏は、西武出身の4人が監督を務める事が楽しみだという。

*  *  *
 工藤公康がソフトバンクの新監督に就任した。アキ(秋山幸二)からバトンを受けた。私が西武での現役時代に共にプレーした二人。公康には、アキのいい部分は継承し、その上で自分の色を1年目から出していってもらいたいね。

 アキはとにかく寡黙な男だった。話している声も小さい。それが1986年の広島との日本シリーズ第8戦では、ホームランを打ってバック宙でのホームイン。誰かと約束をしていたと後で聞いたけど、そんな芸当ができるのかと笑ったよ。

 よく都内の寿司店で一緒に野球談議をした。熊本・八代高時代は投手だったとはいえ、プロでは野手出身の監督だから、投手出身の私の話に真剣に耳を傾けてくれた。2009年の春季キャンプで「ブルペンの捕手の後ろの距離が短いと投手の感覚が狂う」と指摘すると、翌年にはすぐに改修されていた。2軍の若手を相手に講義したこともあったな。周囲の意見を聴き、採り入れる決断力とバランス感覚は素晴らしいよな。

 公康は自分で考え、納得して前に進むタイプで、ちょっと理屈っぽいところがある。でも、明快だよ。彼が入団2、3年目の時だったと思うが「スライダーをどう投げているか?」と聞かれた時に「曲げようとせず、指先で切って、軌道に乗せるだけ」と答えた。もっと説明がほしかったのか、「冷たい」と突っかかってきたけど、30歳を超えて、「あの時の言葉の意味が分かりました」と話していたな。試行錯誤して、たどり着いたのだろう。87年には2人で計40試合に完投したけど、勝利数、防御率などで勝負した。私も30歳代後半だったが、渡辺久信と公康の若い2人にエネルギーをもらって戦えた。

 公康は、トレーニング方法から栄養学も含め、しっかりとした考えを持っている。ただ、野手の心理は難しい。アキとは逆に、野手担当コーチに自分の足りない部分を補ってもらうことが大事だと思うよ。後は2軍監督との関係を密にすること。常勝軍団を作るには、育成選手に至るまで、自分の目指す方向性を浸透させないといけない。コーチ陣だってすべて自分の腹心だけで固められたわけではないと思う。まずはコーチに自分の考えを分かってもらうことから始めないと。

 来年はロッテの伊東勤監督、楽天の大久保博元監督、西武の田辺徳雄監督と、西武のOB4人がそろって監督を務める。それだけ80~90年代に黄金期を築いた西武野球が認められた証拠だ。巨人のV9を支えた面々が他球団に散らばって指導者となったように。OBとしてうれしく思うよ。

 勤に関しては、初めて巨人と戦った83年の日本シリーズ第7戦で3–2と逆転した後、広岡達朗監督に捕手をプロ2年目の勤から大石友好に代えてもらうようお願いして却下されたことを思い出す。でも、監督時代も含め、彼の配球に助けられたことも多かった。デーブ(大久保)は、とにかく陽気。彼がルーキーのころだったかな。高知キャンプに向かう飛行機で、誰かが「飛行機に乗るときは裸足で乗る」と話すと、素直に靴を脱いだ。大笑いだったよ。西武の田辺監督は逆にコツコツ努力型だ。

 4者4様だが、素晴らしい情熱を持った監督たちだ。2月の春季キャンプ行脚、そしてどんなチームを作るか、本当に楽しみだ。

週刊朝日 2014年11月21日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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