地元駅で流れる「人生いろいろ」 病床の島倉千代子が伝えた最後の喜び 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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地元駅で流れる「人生いろいろ」 病床の島倉千代子が伝えた最後の喜び

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<思い出がいっぱいの青物横丁駅。そのメロディーに「人生いろいろ」が選ばれて本当に嬉しかった>

 2013年11月8日に75年の生涯を閉じた島倉千代子さん。その“絶筆”となったエッセーは、故郷である東京都品川区にある京浜急行・青物横丁駅にまつわる思い出を、死の2カ月前の病床で綴ったものだった。

 京浜急行は08年、「駅に親近感を感じてもらいたい」と、16の駅の「駅メロディー(列車接近案内音)」を一般公募した。応募総数2177通の中から、青物横丁駅に最もふさわしいとして選ばれたのが、地元出身の国民的歌手、島倉さんの代表曲「人生いろいろ」だった。

「島倉さんは『自分からお願いしたってかなうものではないのに、故郷の駅に私の曲が流れるなんて、こんなにうれしいことはない』と、満面の笑みだった」

 所属のレコード会社・日本コロムビアで長く島倉さんの担当を務めた蔵田佳隆さんが、当時の様子を語る。

「生まれ育った青物横丁界隈は、幼いころのご自身と家族の思い出が詰まった街。16歳のデビュー以来、トップで輝き続けてきた大スターが唯一、“素の島倉千代子”に戻ることができた故郷に、強い愛情を抱いていたようです」

 09年1月、青物横丁駅の改札口に、島倉さんは予告もなく現れた。

「あのう……私、島倉千代子と申しますが……」

 居合わせた駅員に、「ホームで『人生いろいろ』を一度聴いてみたくて」と、声を掛けた。案内された下りホームでメロディーを聴きながら、電車に乗り込む人たちの姿をじっと見つめ続けていたという。

 13年9月、青物横丁駅にまつわるエッセーの依頼を受けたとき、島倉さんはすでに病床にあった。実はペンを執ることもできない病状だったが、「うれしい!」と二つ返事で引き受けたという。島倉さんの思いを、口述筆記の形でマネジャーが書き留めた。

「本人は、残された時間が長くないことをわかっていたんじゃないかな」と蔵田さんは振り返る。

 青物横丁駅は1日4万2552人が乗り降りし、約460回、列車の発着がある。そのたびに「人生いろいろ」が流れる。この曲がホームに流れる限り、人々の心の中に島倉さんの歌は生き続ける。400字余りの島倉さんのこのエッセーは、こう締めくくられている。

<私はとても幸せ者ですね!>

 島倉さんの最後のエッセーは、2月13日発売の週刊朝日百科「私鉄全駅・全車両基地10号 京浜急行電鉄(1)」(朝日新聞出版)に掲載される。

週刊朝日  2014年2月21日号


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