ライン川東岸の小さな街から始まった原発反対運動は、やがて国を「脱原発」へと導いた。3・11に日本を襲った福島原発事故の悲劇は、遠くドイツの地で、具体的な政策、具体的な取り組みとして、人々を動かした。ジャーナリストの邨野継雄(むらの・つぐお)氏はブライザッハで原発反対運動をしている人々を取材した。

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 3・11の5日後、昨年3月16日から、アンドレス・ホフマンら4議員は社会民主党(SPD)の議員たちと環境議員団を結成して反原発のデモ行進を始めた。

「ピケと言ったほうがいいほどの小さなデモですが、小グループでも意思表示することが大切なんです」

 ホフマンたちはいま、ライン川対岸に建つフェッセンハイム原発を廃炉にしようと活動を続けている。

「なにしろ、わずか10キロの近さです。それにEU(欧州連合)の原発安全基準が制定される前に造られた原発で、安全性の基礎がなっていないのが心配でたまりません」

 SPDの広報、そしてデモ担当だというグスタフ・ローザは、昨年4月28日から周辺市町村の環境団体や一般市民を糾合してデモの指揮を執った。

「日本の市民たちの地震と津波、そして原発事故への対応はとても冷静で、偉いと思いました。私も3・11 を機に、より積極的な反原発運動を行わなければと、4月28日から連日、デモを組織したんです。フランスやスイスの人々も呼応して、三国同盟が歩調を合わせて現在に至っています」

 ローザの言う“現在”というのは、いまでも毎月曜日に行われている反原発デモのことだ。東西ドイツの統一を促した「月曜日のデモ」に倣ったもので、ローザは「持続することが何より大事だ」と語気を強めた。譲員たちの話に、2人の老農夫も反応した。

週刊朝日 2012年11月2日号