1991年に宮沢喜一氏が首相になったとき、私は宮沢首相に「あなたがやるべきことは中央集権から地方分権に変革することだ」と言った。すると宮沢首相は「そう言うけれど、全国の知事や市長で地方分権などを望んでいる人物は一人もいないよ」と返された。
 当時はたしかに宮沢首相の言うとおりで、地方分権を本気でやろうとしている首長はまだいなかった。はっきり言うと、高度経済成長の時代は中央主権政治でよかったからだ。
 高度成長時代は景気がよく、ほとんどの企業がもうかった。したがって税収、つまり国に入るお金がどんどん増えていた。
 そのため、政府は余ったお金を国民に配った。バラマキである。減税を繰り返し、福祉をぐんぐん向上させた。要するに高度成長時代における政府の役割は、国民に利益を配分することだった。税金の多くを中央に集め、それを経済が活性化している地域には薄く、経済が停滞している地域には厚く配分すればよかった。

※週刊朝日 2012年5月18日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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