立川談志、逝く (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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立川談志、逝く

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上田耕司、岡野彩子、神田知子週刊朝日#お悔やみ

「おれはよくね、何で死にたいって言うからね。やはり心不全とかがんだとかそういうのは、いやだと。平凡でよくあるから。『ふとした病』っていうのはどうだ」(本誌ムック「だから死ぬのは怖くない」

 1年ほど前、談志さんは本誌の対談で死生観についてこう語っていた。実際は、談志さんのいう「平凡」な喉頭(こうとう)がんが死因となったが、人生はぶっ飛んでいた。

 落語人生のスタートは1952年。五代目柳家小さんに入門し、二つ目になって「小ゑん」を名乗った。当時、落語評論の第一人者で、のちの直木賞作家である安藤鶴夫が、「巧いのにびっくりした」と評したほどの腕前だった。しかし、その直後から「ホメられて天狗になった」と評判に。

 63年に27歳で真打ちに昇進して、五代目立川談志を襲名した際はこう語った。

「真打ちたって相撲なら平幕。十両に落ちないように……」

 66年に「笑点」(日本テレビ)を企画し、司会を務めるなど、人気はうなぎ登り。69年には無所属で旧東京8区(中央区、文京区など)から衆院選に出馬した。

「タレント議員のブームが来たから、という一言に尽きるんじゃないですか。(中略)せっかくなんだから、酒が美味くて、女がキレイで、土地が高いところからでようじゃねえか、だから銀座から出ようと」(『人生、成り行き』新潮社)

 しかし、あえなく落選。

「福田蔵相、中曽根あたりに負けるんならともかく、東京八区で負けちゃあ」
 とボヤいてみせる一方で、苦し紛れに一発かました。

「落語家だからオチがついている」

 続く71年の参院選全国区にも無所属で出馬。定数50に50位で滑り込むと、こう見えを切った。


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