無罪につながった「獄中ノート」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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無罪につながった「獄中ノート」

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 桜井昌司さんは、怒りを込めてこう話し始めた。

「昨年の厚生労働省元局長の村木厚子さんの冤罪事件もとんでもないものでしたけど、それよりももっとひどいのが、布川事件ですよ」

 布川事件は、1967年8月30日、茨城県利根町布川で、一人暮らしの男性が殺害されているのが発見された。その後、別件で逮捕されていた桜井さんと杉山卓男(たかお)さん(64)が強盗殺人容疑で茨城県警に逮捕された。

 そして、長い闘いの末、布川事件の元被告の桜井さんと杉山さんは5月24日、水戸地裁土浦支部で無罪判決が言い渡された。

 二人は当初、警察の強引な取り調べにより「自白」してしまうが、裁判では一貫して「無罪」を主張した。しかし、主張は通らず、78年7月、無期懲役の判決が最高裁で確定する。その後、獄中から再審請求をするが棄却され、96年に二人は仮釈放される。そして、2009年12月にようやく再審が決定した。

「一度確定した判決をひっくり返すのは非常に困難なものです。再審決定にはいろんな要因がありましたが、その一つが桜井さんの獄中ノートを新証拠として提出できたこと。我々は"宝物"と呼んでいます」

 感慨深げにそう語るのは、布川事件弁護団の一人、塚越豊弁護士だ。

 弁護団が「宝物」と呼ぶ桜井さんの獄中ノートは、全部で17冊。67年11月から70年10月まで、桜井さんはほぼ毎日、日記を書きつづけていた。

「警察でウソの自白を強要され、それを外に伝えたくても、接見も手紙もダメ。ノートさえ使わせてもらえなかった。警察署から拘置所に身柄を移され、ようやくノートが使えるようになったので書き始めたんです。誰かに見せようとしていたわけではないので、素直に自分の心の中をそのまま書いていました。ただ、あまりにそのままだから、最初はちょっと弁護団に見せるのが恥ずかしかった。事件から30年以上して、たまたま見つけたノートが証拠になるとは......」(桜井さん)

 獄中ノートの表紙には「心影」というタイトルが書かれ、警察のめちゃくちゃな取り調べや、真実を信用してもらえない絶望感、極刑への恐怖など、無実の罪を着せられた者にしか書けない内容が記されている。

◆「今も真犯人を捕まえたい」◆

 当初は、別件の窃盗容疑で逮捕されていた桜井さんだが、その後、身に覚えがない強盗殺人事件のことを厳しく追及されるようになる。獄中ノートに頻繁に名前が登場するのが、取り調べを担当したA刑事だ。当時、桜井さんはまだ20歳で食欲旺盛な年頃。そこをA刑事は巧みに利用していく。

〈飯を喰わせてくれ。それから話すよ。(とA刑事にいうと)そしたら驚きだ。寿司を喰わしてくれたもんな〉(68年4月14日)

 A刑事はそんなアメを与えながらムチも用意する。


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