戒名は決めたものの、素人がつけたもの。新大阪の駅に降り立ったときには、これをもとにして、お坊さんにつけ直してもらうのがいいだろうくらいに思っていた。

 葬儀社のひとに「決めている戒名があるのですが」と伝えると、「故人のことをいちばん知っている方がつけられるのは、供養になります」と言われたのが後押しになった。「お寺さんに言っても大丈夫ですか?」「そこは慎重にお話ししてみてください、間違ったことではありませんから」。そんなやりとりのあとだった。

「おまえさん、何考えているのか知らんが」とお坊さんの声色が変わったのは、通夜と告別式の日取りを決めたあとだった。

「決めている戒名があるんですが」と切り出したとたん、「何をされているのか知らんけど、仕事をされているひとなら、どんなビジネスにも立ち入ったらいけない領分というのがあるのはおわかりでしょう」と諭す口調で迫ってこられた。

「はあ」。吐息をつきながら「ビジネス」という言葉にひっかかりを覚えて無言になると、「そんな常識外れなことをしたら仏さんは浮かばれない」「墓に入れんよ」とまで畳みかけられたあげく「亡くなられたのは誰だかわかっているのか」とまで叱責され、その後は売り言葉に買い言葉の応酬となった。

◆料金トラブルで檀家やめる人も◆

 腹立たしくて、お坊さんのお参りを断ったものの、さてどうしたものか。「無宗教葬でもよろしいのでは」と葬儀社さんから助け舟を出されるものの、「できることならお坊さんのお経は」と頼み込んで、戒名を見てもらった上でお引き受けいただけるお寺を紹介してもらった。

 お布施とは別途に「お気持ち」の戒名料をお出しはしたが、戒名についてのいわれを問われて父の人柄などを話すうち、ささくれだった気持ちは消散していた。

「よく考えられたリッパな戒名です。どこで勉強されたんですか?」

 島田さんの本だと言おうかどうか迷いつつ「まあ」とあいまいに過ごすと、「リッパなもんです」と2度3度と褒め上げられ、葬儀社のひとから助言してもらった「お気持ち」相場よりも弾んでしまった。ビジネスというならピンチヒッターのお坊さんのほうが上手だったということになる。

「いまの時代に戒名が必要なのかどうか疑問ですね」

 後日、葬儀社の担当の方に話をうかがうと、こんな答えがかえってきた。

 友人たちに話すたび「戒名はお寺さんの収入源なんだから怒るのは当然」という意見が大半だったから、常識外れなことをしたのかと思っていたが、家族葬を中心にしているその社長さんは、戒名料がもとでお寺ともめて檀家をやめるケースも近ごろはめずらしくもないという。

「お墓に入れないというふうな言い方をされたのも、檀家離れを恐れてのことだと思いますよ」

 先祖代々の骨の入っているくだんのお墓だが、寺の所有ではなく村の共同墓地で、お坊さんには排斥したりする権限がないことも後に判明した。

 高額な戒名料を払わずに安堵したという気持ちもあるが、なにより自分なりの思いをこめて父を弔(とむら)えたということでは悔いのない葬式だった。

 残念というなら「どのような戒名ですか」と、くだんのお坊さんに訊ねられぬばかりか、お悔やみの一言すらなかったことだ。

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あさやま・じつ 1956年、兵庫県生まれ。地質調査員、書店員などを経て、ライターに。共著に『イッセー尾形の人生コーチング』など


週刊朝日