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12月20日は、承応2年(1653年)のこの日、公津村(現在の成田市北須賀、船形、台方)名主・佐倉宗吾(正しい名は木内惣五郎)が将軍家綱に決死の直訴状を手渡した日として知られます。佐倉宗吾は佐倉藩領の苛政に苦しむ農民の窮状を伝えるべく直訴、捕えられて家族もろとも死罪となった人物。この行いは日本における民権運動のはじまりとされています。
江戸後期から明治、そして戦後に掛けて「義民・佐倉宗吾」の伝説は庶民の悲劇のヒーローとして「惣五郎摘趣物語(安永5年/1776)を皮切りに数十種類の出版物を数え、「東山桜荘子」「花雲佐倉曙」「義民佐倉宗五郎」などの芝居、講談、浮世絵の題材ともなり戦後も「怨霊佐倉大騒動」(1958)として劇場映画にもなっています。
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