『クラプトン』エリック・クラプトン
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『クラプトン』エリック・クラプトン
『エリック・クラプトン』エリック・クラプトン
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『エリック・クラプトン』エリック・クラプトン
『レプタイル』エリック・クラプトン
『レプタイル』エリック・クラプトン

 エリック・クラプトンが、70歳の誕生日を迎えた。1945年3月30日、イギリスで生まれている。70歳といえば、日本では古稀とよんで祝う。古稀というのは、中国の杜甫という詩人が……と、古稀の由来について続けてもよいのだが、こちらは興味のある方には、自分で調べていただくことにしよう。

 今回は、2015年3月30日に70歳の誕生日を迎えたエリック・クラプトンが、同年5月21日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行った70歳記念コンサートの模様を収めたライブフィルムの紹介だ。

 ところで、考えてみれば、わたしとクラプトンのつきあいも長いものだ。
 生まれて初めてクラプトンの名を聞き、音楽を知ったのは、たぶん1968年発売のビートルズの通称『ホワイト・アルバム』。正しくは、『ザ・ビートルズ』と名付けられた2枚組レコードの中に入っていたジョージ・ハリスン作曲の《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》だと思う。

 わたしが聴いたのは、レコードが発売されてから、1~2年後の頃だと思う。
 ビートルズの歌声を聴きながら、高校の友人たちと一緒に、どの声がジョン・レノンで、どの声がポール・マッカートニーのものなのか、そして、ジョージ・ハリスンの声はどれなのかを聴きわける訓練をしていた頃、この曲を聴きながら、このギターは、恐ろしくカッコいいけど、ジョージが弾いているわけではないのだ、と友人が言い出した。残念だが、ジョージには、こんなにかっこよくリード・ギターは弾けない。弾いているのは、元クリームというバンドにいたエリック・クラプトンというギタリストなのだ、と。レコード・ジャケットにはどこにもそんな記述はない。なぜか、知ってはいけない秘密を聞いてしまったような気がしたものだ。

 そして、ビートルズ解散後、71年に発表された『バングラデシュ・コンサート』の映画で、エリック・クラプトンが動く姿を初めて見たのだった。そのときの感想は、「かっこええなあ」だった。
 白いスーツを着て、吸っていた煙草をギターの弦の端っこに刺して、《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》を演奏したものだった。一応、説明しておくと、そのころは煙草を吸うのがかっこよかったし、ステージの上でも吸っていたものだ。会社の事務所の机で煙草を吸ってはいけない、といわれるのは、それからずいぶん経ってからのことで、分煙といわれ始めたのは、2000年代以降のことだ。ちなみに、わたしは30歳の時に煙草を止めた。
 そして、この頃から今まで、ずっとクラプトンの音楽を聴き続けてきたことになる。
 そういえば、ミュージシャンが若い頃に、自分が大人になったときのことを想像して歌っている曲がある。
 たとえば、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に入っているポールの歌う《ホエン・アイム・シックスティー・フォー》などがそうだ。ちなみに、ポール・マッカートニーは42年生まれだから、クラプトンより、3っつお兄さんだ。
 この曲は、ポールが10代で作曲したものを作り直して、25歳のときに発表している。ぼくが64歳になっても、君は、ぼくを愛してくれるかい? ごはんを作ってくれるかい? と恋人に問いかけるラヴ・ソングだ。わたしはこの曲を、映画『イエロー・サブマリン』の中で、ビートルズのメンバーのひげがどんどん伸びて年老いていくアニメ映像とともに思い出す。ポールは64歳になったら、大きな記念ライヴをするんだろうなと想像していたが、2006年6月18日に64歳の誕生日を迎えたポールは、再婚相手との離婚の直後で、大きなイベントが開催されることはなかった。リンダが生きていたら、いっしょに歌ったのだろうに。大スターでも思うように行かないこともある。

 そうだ、森高千里に《私がオバさんになっても》という曲がある。92年の発表である。森高が23歳、わたしは36歳だった。ま、直接のつきあいはなかったが。歌詞の中で、私がオバさんになっても海に連れて行くのか?とか、ディスコに連れて行くのか?と彼に質問する。オバさんになったら派手な水着やミニスカートはとても無理だと歌う。そして、私がオバさんになったら、あなたもオジさんになってお腹が出てくるのだと脅す。でも、あなたは、若い子が好きだから心配だという。じつは、わりと可愛い女心を歌っている曲だ。

 最近の曲では、2009年のアンジェラ・アキの《手紙~拝啓十五の君へ~》が、未来の自分に向けて書いた手紙を歌っている。十五歳の僕が、誰にも話せない悩みを抱えていること、負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうだといい、誰の言葉を信じてよいかわからないと歌う。
 ポールの時代は、のんびりしていて牧歌的だ。森高の歌は、イケイケでバブルの香りがする。アンジェラの歌は、傷ついた若者の姿が見えてくる。若い頃から好きだった、詩人の伊東静雄の、若者よ、《そんなに凝視(みつ)めるな》という詩を思い出した。興味を持った方は読んでみてほしい。

 若い頃に不安におののきながら思描いた遠い未来は、そんなに遠くなく、思いのほか早くやってくる。
 気がついたら、わたしは、もうすぐ60歳。エリック・クラプトンは、70歳になった。

 イギリス人のクラプトンが、アメリカのブルースに憧れて、20代で、ギターの神様と呼ばれ、あまりにも速いスピードでギターを弾くので、まるで指がゆっくり動いているように見えることからスロー・ハンドと評され、ブルースをやりたいのに、クリームというバンドでは、ポップスターとして王子様みたいな格好をさせられる。親友のジョージ・ハリスンの妻のパティ・ボイドに恋をして《いとしのレイラ》という名曲を送り、妻となってからは、《ワンダフル・トゥナイト》のような傑作も生んでいる。にもかかわらず、素晴らしく可愛いパティも、とってもカッコいいクラプトンも他にも多くの恋をして、けっきょくそのために離婚している。もてすぎるのも、誘惑が多くて、困りものだな。

 その後、クラプトンは、アルコール依存症や薬物依存症に悩まされながらも、音楽活動を続けていくが、91年、パティの他につきあっていて、離婚の原因になったといわれている女性が生んだ息子が、4歳の時に、53階のマンションの窓から落ちて亡くなってしまう。この哀しみを乗り越えるために作曲したのが《ティアーズ・イン・ヘヴン》だ。グラミー賞を受賞した。
 クラプトンは、その後もたくさんのミュージシャンとも交流し、録音、ライヴと活動を続けている。

 ポップスの世界で、もっとも活躍したミュージシャンの一人であることは間違いない。彼の70歳の記念コンサートを観ながら、同じ時代を歩いた彼と自分の人生を振り返ってみたい。 [次回11/4(水)更新予定]

■上映情報は、こちら。
http://liveviewing.jp/contents/clapton/
■参考:大友博[エリック・クラプトン全アルバム・ガイド]
http://dot.asahi.com/musicstreet/column/ericclapton/