『ライヴ・イヴィル』マイルス・デイヴィス
『ライヴ・イヴィル』マイルス・デイヴィス

 このアルバムは、コンプリートなボックス・セットが登場したからといって、単独のオリジナル・アルバムとしての価値が減じるわけではないという真理を、他のどのアルバムよりも雄弁に語ってくれる。すなわち『ライヴ・イヴィル』に収録されている演奏(音源)は、現在では、たとえば『セラー・ドア・セッションズ1970』や『コンプリート・ジャック・ジョンソン・セッションズ』等に(より長いヴァージョンが)収録されている。しかしそれらは「音源」であり、たとえその一部が『ライヴ・イヴィル』に使われたものであったとしてもまったくの別物、したがって『ライヴ・イヴィル』を聴いたことにはならない。

 2枚組『ライヴ・イヴィル』は、このアルバム単独の世界観を有している。アルバム・タイトルの「LIVE」とは、《シヴァド》《ホワット・アイ・セイ》《ファンキー・トンク》《イナモラータ&ナレーション・バイ・コンラッド・ロバーツ》の4曲を指している。1970年12月19日、ワシントンDCの「セラー・ドア」でライヴ・レコーディングされた。綴りを逆にした「EVIL」にあたるのは、残る4曲のスタジオ録音。すなわちこのアルバムのコンセプトは、ライヴとスタジオの8曲を交差するように配置し、それらが一体となって描き出す世界観を構築しようというもの。ちなみに演奏時間はライヴが約85分、スタジオ録音が約15分で、いわば通常のライヴ・アルバムにアクセント的にスタジオでの小品を点在させたものと考えていいだろう。

 こうした演出によって、このアルバムは一種のトータル・アルバムとしての価値を併せ持つことになった。プロデューサー、テオ・マセロの鋭い感覚と高い音楽性があったからこその成果であり、その意味でこのアルバムは、マイルスを聴くと同時にテオ・マセロの「仕事を聴く」作品となっている。ちなみにテオ・マセロは細かいテープ編集で知られているが、意外にもさほど多くはない。マイルスのアルバムにしても、ごく限られている。そしてその編集作業の頂点に君臨するのが、この『ライヴ・イヴィル』ということになる。

 このアルバムは、1970年のマイルスの音楽がどれほど巨大なスケールを誇り、刻々と変化していたかということを記録したドキュメンタリーとしても成立している。おそらくテオ・マセロは、残された膨大な音源を前に、試行錯誤の結果、マイルスの音楽を映画のように捉えることに着地した。そこにはライヴもスタジオもちがいはなかった。言葉のない映画あるいは映像としてのマイルス・デイヴィスの音楽。そう考えれば、最後の「イナモラータ&ナレーション・バイ・コンラッド・ロバーツ」にナレーションが重なり、そのキメのセリフが「I love tomorrow」であることにも思わず納得させられる。まさにトータル・アルバムにふさわしい演出であり、エンディングといえるだろう。

 1970年のマイルスにとって、少なくとも重要な出来事がふたつあった。それはまたこのアルバムを聴く上でヒントになりうる。まずこの年の初夏から、トランペットにワウ・ワウ・ペダルを用い、エレクトリック・ギターのようなサウンドを出すようになったこと。それはマイルスのジミ・ヘンドリックス化でもあった。もうひとつは、そのヘンドリックスが急逝したこと。マイルスはこの親しい友人の死を悼み、ヘンドリックスが書いた《ファイア》や《メッセージ・トゥ・ラヴ》のベース・ラインを基に新曲を書き、以後のライブで取り上げるようになった(たとえば後者は《ホワット・アイ・セイ》に生まれ変わった)。その演奏は、このアルバムに収録されているライヴで聴くことができる。『ライヴ・イヴィル』の、テオ・マセロでさえ気づいてなかった裏テーマがジミ・ヘンドリックスだったことを、最後に補足しておきたいと思う。[次回11/10(月)更新予定]