『FROM THE CRADLE』ERIC CLAPTON
『FROM THE CRADLE』ERIC CLAPTON

 1989年発表の『ジャーニーマン』のあと、クラプトンはしばらく、オリジナル・アルバムを出していない。ライヴ盤『24ナイツ』、サウンドトラック・アルバム『RUSH』、テレビ局主導のスタジオ・ライヴ『アンプラグド』、ジョージ・ハリスンをサポートした『ライヴ・イン・ジャパン』、マイケル・ケイメン中心に制作されたサウンドトラック・アルバム『リーサル・ウェポン3』。幼い息子の転落死という大きな事件があったとはいえ、円熟期にあった大物アーティストが、何年も、いわゆる企画ものばかりを出しつづけていたのだ。そして、驚くべきことに(クラプトン自身も驚いたはず)、彼はこの間に、かつてなかったほどのスケールで成功を収め、一気にファン層を拡大させてしまったわけである。

 だが、この流れはまだつづいていく。1994年、四十代最後の誕生日を迎えた直後、クラプトンは信頼するミュージシャンやスタッフをロンドンのオリンピック・スタジオに呼び集め、ほぼライヴ録音のスタイルで、はじめてブルースのスタンダードだけを取り上げたアルバムを完成させているのだ。収録曲の半数以上が古いブルースだったにもかかわらず『アンプラグド』が驚異的な売上を記録したという事実から勇気と確信を与えられて、ということもあったのだろう。

 同年秋に発表されたアルバムのタイトルは『フロム・ザ・クレイドル』。つまり「幼いころから」、あるいは「ゆりかごから」。ブルースが自分の原点なのだという想いを、あらためて強く打ち出したタイトルだ。

 1945年の春に生まれ、歳の離れた兄だと思って接していた叔父の影響もあって幼少時からアメリカ音楽を耳にしてきたエリックがちょうど十代を迎えたころ、音楽史的にいうと、ロックンロールが「誕生」している。その後、自然な流れでチャック・ベリーやボ・ディドリーに興味を持った彼は、マディ・ウォーターズらを経由して、16歳でロバート・ジョンソンを知り、ブルースの深淵な世界に引き込まれた。ギターの基礎に関しては、ジミー・リードらから多くを学んだという。その、目指すべき頂であり、高い壁でもありつづけてきたブルースに、ついに、真正面から向きあうことになったのである。

 ここでクラプトンを支えたのは、ジム・ケルトナー(ドラムス)、アンディ・フェアウェザー・ロウ(ギター)、クリス・ステイントン(キーボード)、デイヴ・ブロンズ(ベース)、ジェリー・ポートノイ(ハーモニカ)。3人の管楽器奏者も参加した。取り上げたのは、リロイ・カーの《ブルース・ビフォア・サンライズ》《ハウ・ロング・ブルース》、ウィリー・ディクソン/マディ・ウォーターズの《フーチー・クーチー・マン》、トラディショナルの《マザーレス・チャイルド》、ローウェル・フルソンの《リコンシダー・ベイビー》、タンパ・レッドの《イット・ハーツ・ミー・トゥー》、ディクソン/オーティス・ラッシュの《グローニング・ザ・ブルース》など、16曲。

 オーヴァーダビングを排して仕上げたサウンドはリアルで素晴らしく、ギターもヴォーカルも力強い。「ようやく」といった、安堵感のようなものも伝わってくる。強い手応えを感じたと思われるクラプトンは、完成直後から同コンセプトの、つまり、ブルースだけを演奏するツアーを敢行。翌年の日本公演は、それでも満員になっている。[次回4/30(木)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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