「天下分け目の戦い」として知られる関ヶ原の戦い。これまで徳川家康が裏切りを逡巡する小早川秀秋にしびれを切らし、小早川隊に「問鉄砲」を撃ったことで戦局が大きく変化したと語られてきた。だが近年では、「問鉄砲」を否定する新説が登場している。小早川秀秋は合戦直直後に裏切っていたというのだ。関ヶ原合戦研究の最前線について、『動乱の日本戦国史 桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
関ヶ原の戦いで小早川秀秋は「開戦直後」に寝返り? “逆転”ではなく序盤で決まっていた
dot.
9/25