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「話題の新刊」に関する記事一覧

人生相談。
人生相談。 本書は新聞の定番コーナー「人生相談」を舞台にした小説だ。物語は大洋新聞の長寿連載「よろず相談室」に寄せられた、「居候している女性が出て行かない」という投書から始まる。他にも「職場のお客が苦手」「隣の人がうるさい」「口座からお金を勝手に引き出された」など、様々な投書が寄せられる。  一見バラバラな悩みだが、ある悩みの被害者が、実は別の人を悩ます当事者だったりと、一癖も二癖もある登場人物たちはどこかで繋がっている。  だから、「この人は誰だっけ?」と何度もページをめくり返すことになる。  終盤、パズルのピースがぱたぱたと埋まるように物語のスピードが加速し、1枚の絵が完成する。しかし、その絵柄が本当に正しいか確信が持てず、またもやページを繰り直す。  人生相談のアドバイス通りに解決すれば苦労はしない。それでも人は、明確な回答や真実を欲さずにはいられない。登場人物もまた、それを求めて迷走する。一方、高みの見物であるはずの読み手も、他人の不幸を覗き見たいという、野次馬的な好奇心が浮き彫りにされてしまうのだ。
映画の奈落 北陸代理戦争事件
映画の奈落 北陸代理戦争事件 1977年4月、福井県の暴力団組長が白昼に喫茶店で射殺された。殺された組長はその1カ月半前に東映が公開した実録やくざ映画「北陸代理戦争」の主人公のモデルとなった人物。殺人現場となった喫茶店は、映画内で主人公が襲撃された場所だった。本書では二人の男の足跡を辿ることで、映画が、進行中の抗争に影響を与えた前代未聞の事件の内実を明らかにする。   モデルになった組長の川内弘は巨大組織の山口組に挑み、東大卒の脚本家の高田宏治は実録映画の金字塔「仁義なき戦い」を超えることに執念を燃やした。文字通りの「実録」にこだわった2人の映画は前例の無い試みだったが、皮肉にも事件により実録やくざ映画ブームを一気に終焉に向かわせる。 「奈落に堕ちる覚悟でつくらなければ、観客はついて来えへん」。こう言い放った高田は、その後、「極道の妻たち」を手がけ稀代の脚本家になる。奈落を覗いた者の宿命か、近年は数々のトラブルに見舞われるが悲壮感はない。奈落の底を恐れずつくられた映画を分析した本書が面白くないわけがない。
少年アヤちゃん焦心日記
少年アヤちゃん焦心日記 アイドルにはまれば、CDを大量に買い、追っかけをする。韓国料理店の店員に一目惚れすれば、大手音楽プロダクションの社員だとウソをついて関心を引き、連日のようにその店に通う。のめりこんだらトコトン突き進むのが、本書の著者、少年アヤちゃんだ。 「新しい文章家」として才能が注目されるアヤちゃんの二作目となる日記文学は、前作よりも自分の内面に深く潜り込むような作品となっており、発売後すぐに増刷された。  アヤちゃんが綴る日記は、日々、波乱に満ちている。自称していた「オカマ」をやめたこと。電車で痴漢された中年男に連れられて、一緒に個室トイレに入ってしまったこと。14歳のとき、母親がアヤちゃんの入る風呂に入ってきたこと。一つひとつの出来事や思い出が嵐のように到来し、それが過ぎ去るとアヤちゃんはじっと自分を見つめ、起きたことに向き合い、解を得ようともがく。  痛みを伴うその工程が、繊細で圧倒的な文章力で描かれ、目を離すことができなくなる。アヤちゃんは、毎日進化している。
ぼくと数字のふしぎな世界
ぼくと数字のふしぎな世界 作家、言語学者として活躍する著者は高機能自閉症でサヴァン症候群、数字について類まれな能力を持っている。無限に続く分数やアイスランドの「4」の数え方、数の概念をもたない南米の先住民など、人生の中で出会うさまざまな数学について語るエッセー。  9人きょうだいに生まれた著者は、いつも生活に数がついて回り、家族を観察することは数学を学ぶことでもあった。ケンカをすれば部分集合に分かれ、家に誰も居ないときは空集合を作る。  会計士になりたいという主婦に数学を教えたときの話が印象的。負の数をわかってもらえず困っていると、彼女はふと「抵当みたいなものかしら?」と言った。自分よりはるかに深く本質を理解し、つらい経験に裏打ちされたその言葉に著者は深く感動する。  トルストイは微分積分法で歴史をとらえよと主張し、俳句が鮮やかな映像を呼び起こすのは五七五という素数のもつ簡潔さのゆえだという。数学を通して著者が眺める世界は、私たちが見たことのない、わくわくするような秘密の姿を見せる。混沌ではなく、すべてが美しい秩序に満ちている。
白菊―shiragiku―伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花
白菊―shiragiku―伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花 信濃川の河川敷を舞台に、国内最大級の規模と芸術性を見せる新潟県長岡市の花火大会。「日本一感動する花火」と評され、最初の打ち上げ花火「白菊」はなぜか涙を誘う。この花火大会の原型をつくったのは花火師、嘉瀬誠次。半世紀以上にわたり打ち上げを一身に請け負った92歳の道のりを、ノンフィクションライターが追った。  戦後初の三尺玉「千輪菊」も、花火大会で歓声が起きる「ナイアガラ大瀑布」も、嘉瀬が考案した花火だ。彼の傑作は、愚直なまでの職人魂の上に成り立つ。五輪閉会式初の花火となったロサンゼルスには予算の1.5倍もの花火玉を持って行った。そんな嘉瀬は出征花火に送られて戦地へ赴き、シベリア抑留を経験している。1990年の夏、ハバロフスクでの花火大会が実現し、終盤に白一色の花火がしんなりと咲いた。嘉瀬はそれを「白菊」と命名する。「白菊」はシベリアで命を落とした仲間への鎮魂の花火だったのだ。  彼の花火は「間がいい」らしい。間に粋を感じさせる花火。読み終えた後、花火師の浪漫が胸に迫る。
街の人生
街の人生 本書は、社会学者である著者やその教え子が聞き取った「語り」の束だ。ページをめくると呆気に取られるだろう。中にあるのは語り手の声そのもの。「分析」はない。  日系南米人のゲイ、ニューハーフ、元摂食障害の女性、風俗嬢、元ホームレスの男性──登場人物はいずれも社会のなかで「マイノリティ」と呼ばれる人々だ。進学、結婚、就職など、そのおしゃべりを隣で聞いているかのような感覚にとらわれる。読後に受ける印象は「どこにでもいる人達」。一方、母国にも日本にも染まり切れない(南米人ゲイ)、恋が成就しないとわかったときが一番苦しかった(ニューハーフ)など、少数者としての経験がふっと垣間見える場面もある。  語りは彼らの人生の断片にすぎない。けれども本来「私」という存在は特定の場所や関係性のなかで現れる断片的なものだ。だからこそ、その語りは人生の本質と関係しているように思われると著者はいう。どこにでもありそうな語りと、本人にしか伝えられない語りの断片との交錯が、彼らのリアリティを立ちのぼらせる。

この人と一緒に考える

日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた
日本人の9割が思い違いをしている問題にあえて白黒つけてみた 石油は枯渇するどころか、まだ8千年分もある。タバコは体にいいし、トキも守る必要はない、ってマジかよ! 人気番組「ホンマでっか!?TV」のコメンテーターでおなじみの工学博士が、国際、環境、経済の諸問題から男女の仲にいたるまで、世間の常識を一刀両断、驚きの真実を舌鋒鋭く語っている。  年金問題は子供をどんどん産めば解決するかのようにいわれるが、その伝で計算すると、制度を維持できる人口は2030年に4億3千万人。要するに最初から維持不可能な制度なのだが、政府はそれを知っていて国民の金をまきあげ利権を得るために始めたのだという。  タバコも40年前に比べ男性の喫煙率が半分に減っているのに、肺ガンで死ぬ人は6倍に増加しているし、自然に優しいはずの自然エネルギーは、実際には自然破壊を引き起こす。180度違う真実にただもう、あぜん。  ちょっと数字を計算すれば、すぐに変だとわかる“常識”もある。エライ人が言ってるから、みんなが言ってるから。よく考えもせず、情報を丸のみにしていた自分にハタと思い当たって、あぶら汗タラー。
OL誕生物語タイピストたちの憂愁
OL誕生物語タイピストたちの憂愁 OLが誕生したのは約100年前のことだ。第一次世界大戦の総力戦がきっかけとなり、「台所から、街頭へ!」を合言葉に、オフィスで知的労働をする「職業婦人」が大挙して都市に出現した。彼女らはどう働き、何に悩んだのか。表象文化論などが専門の大学教授が、当時の雑誌記事や図版から、その実像を読み解いていく。  本書は小説仕立てになっていて、若手の商社マンが主人公。彼の早朝から退社までの一日を追い、そこで出会うお局様や腰掛け、独立志向の才媛ら職業婦人たちの悩みや仕事ぶり、職場環境を詳細にあぶりだす。  その描写を通じて、黎明期のOLも現代のOLと同様の悩みを抱えていたことがわかる。男女間の賃金格差に怒り、「職場の華」としてのプレッシャーに遭い、旧来の家族観を壊す脅威として叩かれることもあった。  それでも本書に引用された雑誌記事や投書からは、誇りを持って働く女性たちの姿が浮かび上がってくる。男性中心社会の中で、苦難の道を切り開いていった先人の姿に励まされる。
ラインズ 線の文化史
ラインズ 線の文化史 紙に書かれた文字、糸によって織り込まれたスカーフ、踏み続けられてつくられた草道。このように私たちは様々な「ライン」に囲まれて生活を営んでいる。本書では人類学者である著者が、これらの分類に挑み、ラインを用いる私たちの人生の在り方までを考察した。  本書に引き合いに出されるラインは、手相、中世の楽譜、星座、1300年に中国の書家によって書かれた「李白の詩」、建築家のスケッチなど多岐にわたる。著者はこれらのものを、表面をつくり出す「糸」と表面に加えられたり刻まれたりする「軌跡」として対比させながら「ラインとは何であるのか?」という自らの質問に答えていく。  著者はラインを点と点のあいだを繋ぐものではなく、点と点を散歩するものだと定義する。ラインの進もうとするその運動こそに意味があると言うのだ。なぜなら、どこにも縛られない自由なラインの動きこそが新しい場所を発見し、つくるからである。そして、それは人生においても同じだと言う。「面白いことはすべて、道の途中で起こる」という著者の人生論にも共感が持てる一冊だ。
木霊草霊
木霊草霊 荒涼の街外れを転々。西部劇で見慣れたあのドデカイ鳥の巣状の塊をずっと干し草の残骸と思っていたが、大間違い。タンブルウィードなる歴とした植物で、しかも根を離れた虚しい枯死体には非ず。風に次世代を託し播種に利する、存亡をかけた果敢な転々であったことを本書は教える。  気が遠くなるほどの歳月を永らえて、なお子孫を増やすセコイアの巨木。嫌われながらも異土にはびこる帰化植物のしたたかさ。あるいは桜や椿、葛について。在米詩人による、日米往還の日々や渡欧の旅先での植物の生き方にまつわる気づきと考察の一冊である。  子供時代以来の植物マニアだ。記述は学名、原産地、分類上の登録抹消・変更などにも及び情報に富む。だが、それ以上に厳かな読後感が感動的だ。  オリジナルは月刊誌の連載(2012年4月~13年11月)。この期間は、熊本に住む老父の看取りと重なっている。遠距離介護に荒ぶる心を鎮めるかのように草木の魂と交信しつつ生と死をめぐる内省を重ねた著者の姿を思う。
隣の嵐くん カリスマなき時代の偶像(アイドル)
隣の嵐くん カリスマなき時代の偶像(アイドル) 美男について論じてきた大学教員が、フランス現代思想を武器に、今を代表するアイドルグループ、嵐を分析。ブレイクの理由、グループの構造とメンバーのポジショニング、さらには彼らの魅力の源までも解き明かす。  嵐は今や「最良の隣人」である。その魅力はSMAPのようなスター的な存在感ではなく、家族や友人のような親近感にある。著者が強調するのはメンバーの個性の絶妙な調和。「正論」を語る櫻井翔。予測不可能な「逸脱」を語る相葉雅紀。ドラマの主役を演じて光る松本潤。どのような役柄も自在に演じ切る二宮和也。精神分析学者・ラカンの理論を援用し、「語り中心の櫻井、相葉」と「演技中心の松本、二宮」といった区分から、コインの表裏のようにお互いの役割を保証している嵐の関係性を明らかにしていく。  では、大野智はどうか。寡黙でありながらも多才なオールラウンド・プレーヤーの大野は、「みせかけ」のリーダーとしている。つまり嵐の構成は「四+α」。しかし大野=αにこそ、嵐独特の人気の秘密があるのだ。嵐への愛があふれていて楽しい。
噂のメロディ・メイカー
噂のメロディ・メイカー 著者は、バンド「ノーナ・リーヴス」のシンガーだが、国内外のポップ・ミュージックを専門とする研究家の顔も持っている。そんな彼があるとき「ワム!の<ラスト・クリスマス>をゴーストライターとして作曲したという日本人がいる」という、にわかには信じがたい噂を耳にする。あの世界的名曲をワム!が作っていないかも知れないという意味でも、海外に通用する有能な日本人メロディ・メイカーがいたという意味でも、この噂には無視できない魅力=魔力があった。  そこからはじまる膨大な資料の読み込みと、自らの足を使った地道な取材は、執拗かつ情熱的。ゴーストライター「ナルショー」の正体を突き止めてゆくプロセスは、虚実の間を行ったり来たり。最後までスリリングである。  しかしこの「ノンフィクション風小説」は、ただエンタメ性が高いのではなく、奥底には80年代の音楽シーンの光と影をしっかり見極めようとする著者の誠実さが息づいている。謎解きの面白さと音楽史を学ぶ喜びがミックスされた本書には、他に類を見ない新しい手触りがある。

特集special feature

    キルギスの誘拐結婚
    キルギスの誘拐結婚 窓辺で母親に抱かれ、赤ちゃんが嬉しそうに笑う。そんな穏やかな写真のページをめくると一転、髪を振り乱し嫌がる女性の姿が飛び込む。「誘拐結婚」の現場の写真だ。  本書は、写真家の林典子さんがキルギスに5カ月滞在し、男性が女性を誘拐する現場や、結婚式、結婚後の生活などを収めた写真集。  結婚を断られたから、一目ぼれしたからなど、男たちはさまざまな理由で女性を誘拐し、自分の自宅へと連れていく。未婚の女性が男性の家へ入ることは、「純潔」を失ったとみなされる上に、一家総出で女性を説得にかかる。何時間もの抵抗の末、ほとんどの女性が無理やり結婚させられる。  だからといって、女性が皆、不幸になるわけではない。幸せだと話す女性も多い。その一方で、夫から暴力を受ける女性や、レイプされ、自殺した女性もいる。キルギスに「慣習」として存在する誘拐結婚を、私たちの価値観で一方的に否定できるのだろうか。  呆然とする顔、穏やかな顔、眉間にしわの寄った顔、遠くを見つめる顔。女性の表情が、心を揺さぶってくる。
    詐欺の帝王
    詐欺の帝王 「オレオレ詐欺の帝王」と呼ばれた男がいる。有名私大を卒業して、大手広告会社に入社。30代後半で弁舌は軽やか。暴力団に籍を置いたことも、詐欺での逮捕歴もない。警察と暴力団の間を泳ぎ、詐欺グループを形成。収入は最低でも月数億円に達した。  インターネット上では架空の存在と見なされていたが、組織犯罪に精通した著者が初めて接触に成功。頂点に立った人間に迫ることで、現代の特殊詐欺の全貌を明らかにする。  驚かされるのが、組織内での詐欺の種類の多さだ。イラク通貨を使った詐欺など彼のひらめきに端を発したものもあれば、オレオレ詐欺のように末端が上納金を効率よく生み出すために苦肉の策で考えだし、全体に波及した詐欺もある。共通するのは、警察が対策に乗り出した頃には次の一手を模索する彼のしたたかさだ。  ただ、切れすぎる頭脳は安息を与えない。巨万の富を敵対する組織から狙われ、警察の捜査におびえる。「帝王」は詐欺から手を引いたが、我々を欺く新たな手法が今も生成されている。
    「平成」論
    「平成」論 元号が変わり4半世紀を過ぎた今、若手社会学者が「平成」という時代についてまとめた現代社会論だ。一見、「平成」という時代を一括りに論じるかのようなタイトルだ。しかし、本書は「平成」とは、いるのかいないのかわからない「ユーレイのような性格」を持つという拍子抜けする宣言から始まる。  説明材料も経済、文学、ニュース、批評──と多様。共通するのは平成という時代下、各領域を特徴づけるため多くの論評がなされてきたにもかかわらず、いずれも決定的な説明にはなりえていないということ。その一例として、著者が働いていたドワンゴのニコニコ動画がある。アニメから政治、素人からプロまでジャンルも作り手も多種多様なコンテンツが並ぶ世界。何もかもがあるようで、けれども決してひとつの言葉に還元できない。それこそが「平成的」なのだという。  自身のメディア経験談なども織り込まれ、身近な地点から同時代への想像力が刺激される。煙に巻くような文体だが、本書の意義は「問い続ける営み」の快楽にあるという。モヤモヤした感覚を楽しみたい。
    砂子のなかより青き草
    砂子のなかより青き草 本書は、平安時代の才女・清少納言が主人公。R―18文学賞でデビューした宮木あや子が描く大人の女性のための時代小説だ。  子ども四人を産み、夫とも別れたあとの清少納言が、中宮定子に仕えることになったところから始まる。一条天皇の寵愛を受けて栄華を極めていた定子だが、父・藤原道隆の死後、叔父・道長が関白の座についたとたん、状況は一変、男たちの政権争いに否応なく巻き込まれていく。『枕草子』は、そんな気の休まらない日々を送る定子を清少納言が楽しませようとして綴ったという設定だ。  定子の父が危篤の際、女たちが気を紛らわせようと「嫌いなもの」を言い合っている場面が面白い。人間って、悲しいこと、怖いことを前にして、ついどうでもいい話で盛り上がってしまうことがある。本書は、千年前の平安時代も今も、人間の根本は変わらない、と思わせる点が魅力の一つ。  ちなみに本作では、紫式部が圧倒的に嫌な女として描かれている点が面白い。あの女のドロドロした源氏物語を書いた女性だと思えば、むしろ悪女説に納得。
    遅い光と魔法の透明マント
    遅い光と魔法の透明マント 光速を超える光、光のテレポーテーション、“透明人間”になる技術──こんな信じがたいことがいま、どんどん現実になっている。光を専門とする物理学者が古今のSFに登場する技術と対比しながら、驚異的レベルで進歩する光の科学の世界を案内する。  光は実に奇妙な存在だ。粒子でもあり同時に波でもある。「絡み合い」という状態にある二つの光子はどんなに離れていても、片方の特性が変化すればもう片方も瞬時に変化する。量子情報のテレポーテーションが起こるのだ。謎だらけの光の特性を応用して、事実上不可能だった複雑な計算を一瞬で処理する量子コンピュータ、光を曲げ『ハリー・ポッター』の魔法のマントさながら姿を見えなくするクローキング技術などが続々登場、SFがもはや絵空事ではなくなっていることにボー然。  アシモフ、H・G・ウェルズらの傑作小説や、「スタートレック」などの人気ドラマをたっぷり引用。ワープ航法や遮蔽装置、ビーム転送等々おなじみの技術のどれが実現可能か詳細に検討され、SFファンにはたまらん楽しさ。刺激的未来を堪能する。
    鼓動のうた 愛と命の名歌集
    鼓動のうた 愛と命の名歌集 近代、現代をおりまぜた300首あまりの愛、あるいは命を詠んだ短歌を歌人が紹介。作者の職業や詠われた背景などをふまえ、1首ずつこまやかに読み解いていく。  夏の恋を詠んだ有名な歌がある。「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」(小野茂樹)。読者それぞれが胸の内に秘める、かけがえのない相手の表情が浮かぶ。そうした選歌の妙は今を生きる歌人の作品にも及ぶ。「よく笑ふ親の子供はよく笑ふなんでもなくてしあはせなこと」(大松達知)。親が意識的に心を配ることでようやく実現するのが日常。著者の筆に共感が湧く。 「『よく生きた』生きてただけで誉められる六百三人登校した日」(岩尾淳子)。阪神大震災を詠んだ命の歌。「おとうさんわたしはこんなに空腹でさくら食べたよつめたいさくら」(小島ゆかり)。認知症の父親を見舞い、かつての父と幼かった自分とが呼びかけの中でからみあう歌。愛と死、命には最も深い感情の吐露が伴う。最後に著者の歌を。「同じように髪を束ねた母と子のサランサランとゆく春の風」。永遠の春が揺れる。

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