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「歴史道」に関する記事一覧

訪れるべき「戦国山城」を歴史研究家が格付けランキング! 2位は信長「安土城」、1位は?
訪れるべき「戦国山城」を歴史研究家が格付けランキング! 2位は信長「安土城」、1位は? 日本全国には3~5万の城があるとされ、その多くが山城だという。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、城関連の著書も多い歴史学者・小和田泰経氏に自身が訪れた山城を「遺構の保存状態」「防御力」「登りやすさ」「交通アクセス」の4つの基準で採点してもらい、戦国最強で「訪れるべき」山城ベスト50を選出してもらった。ここでは、同率で4位となった城からトップ5を見ていこう。
城めぐりライターが選ぶフォトジェニックな山城とは? 「絵になる城」ランキング!
城めぐりライターが選ぶフォトジェニックな山城とは? 「絵になる城」ランキング! 一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回は、城郭ライターで山城ファンの萩原さちこさんに「絵になる山城」を選んでもらった。
城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は?
城郭考古学者が選ぶ「絶対に攻めたくない山城」ベスト10! 1位は埼玉「杉山城」、2位は? 一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回の推薦者は、城郭考古学者で山城ファンの千田嘉博さん。選定のテーマは「絶対に城攻めしたくない山城」だ。
山城ファン必見!「私ならここに行く」 プロが厳選する「落城悲話に惹かれる山城」ベスト10
山城ファン必見!「私ならここに行く」 プロが厳選する「落城悲話に惹かれる山城」ベスト10 一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。土塁、石垣、堀切……。ぜひ現地で遺構に目をこらして、戦国の武者たちに思いを馳せていただきたい。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回は、静岡大学名誉教授で日本城郭協会理事長の小和田哲男氏のベスト10。選定のテーマは「落城悲話に惹かれる山城」だ。
鳥羽・伏見の戦いとは何だったのか? 1年半におよぶ戊辰戦争の始まりを歴史家が解説
鳥羽・伏見の戦いとは何だったのか? 1年半におよぶ戊辰戦争の始まりを歴史家が解説 幕末、雄藩の台頭や西欧列強の圧力を何とか凌いできた徳川幕府。一方、旧来の体制をよしとせず、維新回天を目指した薩長を中心とする勢力。慶応三年十月、将軍慶喜は事態を収拾するべく大政奉還するが、新政府は謀略も辞さず、あくまでも武力による討幕を目指した──。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では戊辰戦争を大特集。今回は、1年5カ月におよぶ戊辰戦争の火ぶたが切られた鳥羽・伏見の戦いの真実に迫る!
「維新の十傑」で決断力、行動力が高かった意外な人物 江藤新平や岩倉具視の評価は?
「維新の十傑」で決断力、行動力が高かった意外な人物 江藤新平や岩倉具視の評価は? 幕末から明治にかけ、維新を成し遂げた原動力となった功労者は数多く存在する。そんな功労者の中で歴史に名を残し、その功績が讃えられた10人にはどのような功績があるのか。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、歴史作家・桐野作人氏に西郷隆盛、大久保利通、江藤新平、横井小楠、小松帯刀、岩倉具視、木戸孝允、広沢真臣、大村益次郎、そして筆者が独自に選んだ後藤象二郎の10人から、「決断力」と「行動力」を評価してもらった。

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西郷隆盛、大久保利通…「維新の十傑」その功績を再考する! 指導力にすぐれた人材は?
西郷隆盛、大久保利通…「維新の十傑」その功績を再考する! 指導力にすぐれた人材は? 幕末から明治にかけ、維新を成し遂げた原動力となった功労者は数多く存在する。そんな功労者の中で歴史に名を残し、その功績が讃えられた10人にはどのような功績があるのか。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、歴史作家・桐野作人氏に「指導力」を評価してもらった。
新国家建設の中心となった明治天皇 全国を回る「巡幸」で見せた洋装の真意
新国家建設の中心となった明治天皇 全国を回る「巡幸」で見せた洋装の真意 日本が近代化に向けて大きく動き出した明治時代。明治国家の「建国の父祖」として君臨していたのが明治天皇である。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、その明治天皇を特集。大日本帝国憲法の発布や日清・日露戦争の勝利など、西欧列強に負けない国家をけん引する役割を担った人物の真実とは――。
新政府が仰いだ「明治天皇」の実像 大久保利通らが目指した「政」と「軍」の中心とは
新政府が仰いだ「明治天皇」の実像 大久保利通らが目指した「政」と「軍」の中心とは 日本が近代化に向けて大きく動き出した明治時代。明治国家の「建国の父祖」として君臨していたのが明治天皇である。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、その明治天皇を特集。大日本帝国憲法の発布や日清・日露戦争の勝利など、西欧列強に負けない国家をけん引する役割を担った人物の真実とは――。
なぜ光秀は信長を殺したのか? 定説からトンデモ説まで「動機」と「黒幕」徹底分析
なぜ光秀は信長を殺したのか? 定説からトンデモ説まで「動機」と「黒幕」徹底分析 邪馬台国の所在地、坂本龍馬暗殺の真相と並び、日本史上最大の「謎」の一つとされる本能寺の変。古今、真相として様々な説が唱えられてきた。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 13』では本能寺の変と明智光秀の最期を徹底分析。ここでは事件の「動機」と「黒幕」をめぐる諸説をすべて網羅、論考する。
草なぎ剛 大河ドラマで円熟味「葛藤する徳川慶喜のつかみどころのなさを出せれば」
草なぎ剛 大河ドラマで円熟味「葛藤する徳川慶喜のつかみどころのなさを出せれば」 大河ドラマ「青天を衝け」では、江戸幕府最後の将軍となる徳川慶喜役を演じている草なぎ剛さん。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 15』では、その草なぎさんにインタビュー。ドラマで見せる秘めたる熱い思いを覆い隠した慶喜とは違い、取材中は、終始笑顔。そんな表情豊かな草なぎさんに、自身が演じる慶喜や渋沢栄一に対する思いを語ってもらった。
徹底抗戦せずに幕府を終焉させた徳川慶喜 「難攻不落」の大坂城に籠城しなかった背景
徹底抗戦せずに幕府を終焉させた徳川慶喜 「難攻不落」の大坂城に籠城しなかった背景 大河ドラマ「青天を衝け」でも話題の徳川十五代将軍・慶喜。「神君・家康公の再来」と期待されながら、徹底抗戦せずに幕府を終焉させた慶喜とはどんな人物だったのか。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 14』では、徳川将軍を大解剖した。(前回の記事「神君・家康公の再来と期待された「徳川慶喜」は、なぜ大政奉還を決断したのか?」から続く)

特集special feature

    神君・家康公の再来と期待された「徳川慶喜」は、なぜ大政奉還を決断したのか?
    神君・家康公の再来と期待された「徳川慶喜」は、なぜ大政奉還を決断したのか? 大河ドラマ「青天を衝け」でも話題の徳川十五代将軍・慶喜。「神君・家康公の再来」と期待されながら、徹底抗戦せずに幕府を終焉させた慶喜とはどんな人物だったのか。週刊朝日ムック『歴史道 Vol. 14』では、徳川将軍を大解剖。ここでは「王政復古の大号令」までを解き明かす。
    「徳川秀忠」安定の手腕 律儀すぎると酷評された三男が、なぜ将軍職を継げたのか?
    「徳川秀忠」安定の手腕 律儀すぎると酷評された三男が、なぜ将軍職を継げたのか? 150年におよぶ戦乱の世に終止符を打ち、慶長8年(1603)、幕府を開いた徳川家康。そして、父・家康がつけた道筋を愚直なまでに継承した二代・秀忠。武断政治を進め幕府の支配をさらに強化した三代・家光。週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』では、「徳川300年の泰平」と謳われた時代の礎はいかにして築かれたのかを特集。ここでは「秀忠」を解き明かす。
    母との別離、人質生活…労苦を重ねた「徳川家康」 天下人に上りつめた乱世の勝利者
    母との別離、人質生活…労苦を重ねた「徳川家康」 天下人に上りつめた乱世の勝利者 150年におよぶ戦乱の世に終止符を打ち、慶長8年(1603)、幕府を開いた徳川家康。そして、父・家康がつけた道筋を愚直なまでに継承した二代・秀忠。武断政治を進め幕府の支配をさらに強化した三代・家光。週刊朝日ムック『歴史道 vol. 14』では、「徳川300年の泰平」と謳われた時代の礎はいかにして築かれたのかを特集。ここでは「家康」を解き明かす!
    【イラスト解説】実は忙しかった「徳川将軍の1日」スケジュールはこうだ!
    【イラスト解説】実は忙しかった「徳川将軍の1日」スケジュールはこうだ! 江戸に幕府を開いた徳川家康以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが将軍の日常生活について解説。何時間働くのか、自由時間の過ごし方は、など、意外にキッチリ決められていた日常生活を送り、綿密なスケジュールにそって過ごしていたことがわかる。今回は、江戸後期の将軍の生活を紹介する。
    徳川将軍は1日に何時間働いた? 意外にもキッチリ決められていた将軍のスケジュールとは
    徳川将軍は1日に何時間働いた? 意外にもキッチリ決められていた将軍のスケジュールとは 江戸に幕府を開いた徳川家康以来、幕末の慶喜に至るまで計15人の将軍を生んだ。ここでは週刊朝日ムック「歴史道 Vol.14」から、歴史研究家の河合敦さんが将軍の日常生活について解説。何時間働くのか、自由時間の過ごし方は、など、意外にキッチリ決められていた日常生活を送り、綿密なスケジュールにそって過ごしていたことがわかる。今回は、江戸後期の将軍の生活を紹介する。
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