反逆する華族 「消えた昭和史」を掘り起こす
高校の頃に、男と男同士の恋愛小説みたいなもんを書いてる時に、片割れを「没落華族の息子」としたのだが、華族には人を妖しく魅惑するものがある。しかし現実はそんなもんではないだろう、と華族関連の書籍を読んできた。華族の皆さんはけっこう金持ちである。没落した人もいるが、モトが金持ちなので没落しても、今のうちよりいい暮らしで、やはり身分社会はよくない。 華族は「天皇陛下をお守りする立場」なので、正しく暮らすことを求められてきた。そんな華族の犯罪簿がこちらの本である。犯罪ったって詐欺とかではなく、思想犯的なものが主だ。ここに出てくる「官憲に捕まった華族(やその子女)」は、名門の生まれで、きちんとした教育を受け、それゆえに意識が高く、華族という“特権階級”にいることに苦しむ、という図式である。今も昔もよくあるといえばあるようなことだ。 だから「思想犯として捕まった華族」の悩みそのものはそれほど面白くない。ただ、事件が起こって、家族親族一族が奔走するやら、冷たくするやらの騒ぎの様は面白い。当時の特高警察は、相手が華族であろうと容赦しなかった。裁判官や検事が、同じ思想犯でも、庶民の貧乏人よりも、華族に理解を示す。そのことに同じ庶民出の特高警察の人が腹を立てた話などは興味深い。特高警察の気持ちがわかったのは初めてだ。 有名な「不良華族事件」も出てくる。華族たちがダンス教師らと不純交遊したという話。まだ姦通罪があった頃で、伯爵で歌人の吉井勇の奥さんの徳子が、これで警察にひっぱられた。ここに斎藤輝子(茂吉の奥さん)がいたのは知っていたが、近藤廉平男爵の三男である廉治と妻・泰子(本書では安子)もいたのには驚いた。この泰子って白洲正子の姉さんですよ。白洲正子自伝に姉の話は少ししか出てこないが、やはり触れたくなかったのだろうか。本書のテーマと関係ない小ネタですが、おおっと思ったので。
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10/23