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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。
路面電車がみつめた50年前のTOKYO
活気あふれる54年前の「北九州」商店街を堂々と貫いた路面電車 馬が車体を引くシーンも?
活気あふれる54年前の「北九州」商店街を堂々と貫いた路面電車 馬が車体を引くシーンも? 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回は西日本鉄道(以下西鉄)の北九州線・戸畑線・枝光線の路面電車を紹介した。その続編として、今回は、小倉の繁華街である魚町を起点にして近郊の北方との4600メートルを結ぶ西鉄北方線(きたがたせん)を紹介しよう。
猫駅長「たま」勤務路線の前身や郷愁あふれる野上電鉄を巡る、57年前「春の和歌山」路面電車の旅
猫駅長「たま」勤務路線の前身や郷愁あふれる野上電鉄を巡る、57年前「春の和歌山」路面電車の旅 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回に続いて今回は、南海電気鉄道和歌山軌道線や和歌山市近郊の鉄道訪問記を綴る。
和歌山名物「ケロヨン電車」が走った57年前 水面に映る抜群に愛くるしい路面電車
和歌山名物「ケロヨン電車」が走った57年前 水面に映る抜群に愛くるしい路面電車 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は季節柄「路面電車 春の旅」と題して、南海電気鉄道和歌山軌道線などの訪問記を2回にわたって綴ろう。
神田川がぐぐっと曲がる「大曲」54年前”橋の上”停留所の都電 歴史的発見「お茶の水橋」と共通点?
神田川がぐぐっと曲がる「大曲」54年前”橋の上”停留所の都電 歴史的発見「お茶の水橋」と共通点? 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は神田川に架かる白鳥橋(しらとりばし)上の大曲停留所の情景を紹介しよう。
車両が川面すれすれ? 江戸川区にあった「専用橋」をゴトゴトと走る57年前の都電
車両が川面すれすれ? 江戸川区にあった「専用橋」をゴトゴトと走る57年前の都電 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は城東電気軌道(以下城東電軌)から引継いだ小松川線の中川専用橋と、その周辺の情景を紹介しよう。
車窓からの桜並木が鮮やかだった都電「番町線」 1964年東京五輪で真っ先に消えた顛末
車窓からの桜並木が鮮やかだった都電「番町線」 1964年東京五輪で真っ先に消えた顛末 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は1964年の東京オリンピック工事に関連した都電迂回運転で、真っ先に廃止された番町線を巡る都電の話題を紹介しよう。
江戸時代から交通の要衝だった「四谷見附」の54年前 マラソン選手も苦しんだ急勾配の坂も
江戸時代から交通の要衝だった「四谷見附」の54年前 マラソン選手も苦しんだ急勾配の坂も 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は新宿通り(甲州街道)と外濠通りが交差する交通の要衝「四谷見附」を行き交う都電の話題を紹介しよう。
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