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徳田拳士四段、年下に抜かれ心折れたときも 転機は記録係をした藤井聡太の竜王戦
徳田拳士の師匠は小林健二九段。その門下は棋士だけでも伊奈祐介七段、島本亮五段、古森悠太五段、池永天志五段、冨田誠也四段、井田明宏四段、森本才跳四段と、多士済々だ(撮影/写真映像部・東川哲也)
AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。35人目は、徳田拳士四段です。AERA 2024年3月18日号に掲載したインタビューのテーマは「忘れられない失敗」。
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2009年。小学生名人の徳田拳士は奨励会入会試験を受験。結果は不合格だった。
「悔しいというよりも、恥ずかしかったです。まさか落ちると思ってなかったんで。次の年もけっこうきわきわでしたけど、逆転勝ちして、なんとか入れたのは覚えてます」
例会の日、徳田少年は新幹線に乗り、大阪の関西将棋会館に通っていた。地方在住のハンディはあった?
「地方と都会の差は、段位者になってからは感じるようになりました。都会の方が練習相手は多いですから」
徳田は中学を卒業すると、地元の徳山高校に進学。2年のとき、二段に上がった。日本将棋連盟のウェブページには、2014年10月の例会で、16歳の徳田二段が香落の上手を持って勝った棋譜が紹介されている。相手は当時小6で12歳の藤井聡太初段だ。
「当時から、忙しい局面で相手に手を渡すような、小学生らしからぬ落ち着いた指し回しをしていたのは覚えてます。ものが違う。藤井さんは間違いなくすごい人になると思ってた。だからいまのうちだけでも勝ちたいと思って」
徳田と藤井は奨励会で8回戦い、互いに4勝ずつという成績が残されている。やがて藤井は、あっという間に徳田を抜き去っていった。
「年下にどんどん抜かれて、三段に先に行かれたときは、ちょっと心が折れました。僕は二段で長く足踏みして、やる気もなくなった時期もあって。そのうち、初段に落ちそうになって。誰にも言ってなかったですけど『落ちたらやめようかな』と思ってました。でも『別にまたがんばればいいじゃないか』と思い直し、のびのび指せた。そこで落ちなかったのが大きかった」
徳田拳士(とくだ・けんし)/1997年12月9日生まれ。26歳。山口県周南市出身。2009年、小学生名人戦全国大会優勝。同志社大学卒。22年、四段。山口県出身者としては初の将棋の棋士に(撮影/写真映像部・東川哲也)
徳田は同志社大学に進学後、2年のときに三段に昇段。難関のリーグで戦い始めた。そこでもまた苦戦した。
「昇級にからんでない期がほとんどで。最終日、上がり目がないのに東京に遠征にいくときはしんどかったです」
年齢制限の26歳は次第に迫りつつあった。
「就活した方がいいかなと思った時もありましたが、そっちも手遅れだなと。なんとかなるかと思い、将棋に打ち込みました」
地元山口県でのタイトル戦の対局は、記録係を務めた。
「タイトル戦で10回以上記録を取ったら(歴が長いのでなかなか)棋士になれないというジンクスがあって気にはしてたんですけど(笑)。地元の方々にはお世話になっているので、地元での対局はやろうと思ってやってたんです」
2018年12月、下関での竜王戦第7局は、羽生善治竜王(当時)のタイトル通算100期がかかっていた。
「記録を取っていて緊張するってなかなかないんですけど、本当にもう、すごい将棋だったので、緊張しました」
2021年11月、宇部での竜王戦第4局。記録係の徳田三段は藤井三冠が目の前で竜王位を獲得するのを見ていた。それがいい転機となり、さらに研究に励んだ。8期目となる21年後期のリーグ。ついに昇級のチャンスを迎えた。
「最終日の直前ぐらいまでは、ずっと他力(3番手以下)だったので。『なにも考えずに上についていこう』という感じで淡々とやってたのがよかったのかもしれません。気づいたら自力になっていて」
2022年。徳田はついに四段昇段を果たした。山口県初のプロ棋士誕生に、地元のファンは沸き返った。(構成/ライター・松本博文)
※AERA 2024年3月18日号
AERA
2024/03/18 06:30