下山進
【下山進=2050年のメディア第29回】Wikipedia三大文学『死の貝』を復刊させた女性書店員の眼力
(左から)未来屋書店甲府昭和店では、『死の貝』(小林照幸著 新潮文庫)が大展開している/山梨県立博物館には日本住血吸虫症に関する展示があり、1969年当時の山梨県のポスターを見ることができる
未来屋書店は、イオンの100パーセント出資の子会社で、全国に展開するイオンのショッピングモールに出店している。
井上あかねは、この未来屋書店の本社で仕入れを担当している商品部にいる。2015年入社の31歳。
Xのタイムラインに「ウィキペディア三大文学」の文字が流れてきて、興味をひかれた。昨年は、たとえば秋田県では熊の目撃件数、被害ともに過去最大で、そうしたことからXでも熊の件にひっかけてポストをする人が多かった。そんなポストに言及されていたのが「ウィキペディア三大文学」だった。
「ウィキペディア三大文学」とはいつのまにかネット民がつけた呼称で、読めばおもわず引き込まれてしまうウィキペディアの記事のこと。ウィキペディアは、ソースを明示すれば誰でも編集して書き込めるクラウド型の百科事典だ。
熊で参照にされていたのは「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」の記事。大正年間におきた北海道の開拓民の集落での史上最悪の熊害事件の記事だが、それ以外にも「八甲田雪中行軍遭難事件」とそして「地方病(日本住血吸虫症)」の記事が、「ウィキペディア三大文学」に数えられることを知った。
この三つの記事を井上は丹念に読んでいったが、なかでも「地方病(日本住血吸虫症)」の記事は息を呑む思いで一気読みをした。
山梨県の甲府盆地といえば、ブドウ(全国生産量の25%)・モモ(31%)・スモモ(32%)の出荷量で全国一位をほこる果物王国という認識だったが、それは高度成長期以降の話で、それ以前は水田の広がる米作地帯だった。そこでは武田信玄の時代から、『水腫脹満』と呼ばれる奇病が猖獗(しょうけつ)をきわめる地域だったのだという。
その病気にかかると、腹がふくれ栄養失調のようになり、介助なしで動けなくなると、死ぬ。しかし原因がわからない。甲府盆地特有の病気だとされていた。
この病気の原因の解明から、撲滅にいたるまでの歴史をウィキペディアの長文の記事はまとめているのだが、一冊の本が特に多く引用されていた。
それは1998年に文藝春秋から刊行された『死の貝』(小林照幸)という本だった。
が、その本自体はすでに絶版になっており、アマゾンの中古では1万円以上の価格で取引されている。
そこで井上はひらめき、新潮社営業部の河井嘉史(よしふみ)に電話をする。
「河井さん、ウィキペディア三大文学って知っていますか?」
死んでいた本を生き返らす
新潮社は、「三毛別羆事件」については、吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』を。「八甲田雪中行軍遭難事件」については新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を新潮文庫でもっていた。いずれも毎年約1万ずつ版を重ねるロングセラーで、『羆嵐』は58刷46万9000部、『八甲田山死の彷徨』は、100刷135万4000部を数えている。
「これに『死の貝』を文庫で加えることができれば、三大文学コンプリートします。もし文庫で復刊してくれたらば、全国の未来屋書店241店舗で、大展開します」
井上はこのとき上司に相談して、河井に電話したわけではない。いける、と思ったので電話したのだった。いいよね、そういう社風。
河井はまず本を読まねばと思ったが、アマゾンで調べると一番安い中古でも9000円を越える。河井は上司に断って、経費でこの中古品を入手し読んでみた。
実は、小林照幸さんの『死の貝』は、私が文藝春秋にいた時代に出ている。ただ、小林さんが懇意にしていた編集者が文芸の編集者だったために、ノンフィクションであるにもかかわらず、文芸の局でこの本を出版している。
そうした背景もあったのだろうか、初版は6000部で、実売は4000に届かずに終わった本だった。私の記憶にもほとんどなかった。
この本は、今回文庫で私も読んだが、ノンフィクションでありながら、ミステリーの趣がある。原因不明だった奇病が、寄生虫が原因であることがわかると、その寄生虫がいかにして人体に侵入するのかという謎が今度は提起される。患者の糞の中にある卵から孵化した微生物は、水の中を勢いよく泳ぐが、しかし2、3日で死に、動物の体に入らない。
ここで中間寄生主がいるのではないか、と研究者たちは推理する。その中間寄生主がミヤイリガイという3ミリほどの巻き貝だということがわかる。このミヤイリガイに最初の微生物は入り込み、尾翼のついた形に変態をとげ、これが人体に侵入するということがわかるのだ。水田に農民が入って感染をしてしまうことから、甲府盆地の水田を果樹園にかえることになったのは、地方病の原因がわかって以降の話だ。
河井も夢中になってその中古本を読み、新潮文庫の編集部に連絡をする。
新潮文庫は、コロナが始まってすぐに、カミュの『ペスト』を大重版してヒットさせるなど、既刊本を、売るのが実にうまいレーベルだ。
このときも、即決して、小林に連絡をとり、文庫化を新潮ですることの了解を得る。
実は、ウィキペディア三大文学で言えば、文藝春秋も「三毛別羆事件」「八甲田雪中行軍遭難事件」のそれぞれについて本を持っていた。『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(木村盛武 文春文庫)、『八甲田山から還ってきた男:雪中行軍隊長・福島大尉の生涯』(高木勉 文春文庫)。
が、今回は、まんまと新潮文庫に出し抜かれたということになる。
新潮文庫『死の貝』は1万2000部でスタートし、現在4刷の2万6000部。新潮社の営業部は、三冊を平積みにしておける特製の棚をつくり、全国の書店に配布展開をはかっている。
優れた作品は時をへて再評価される
200店を越える未来屋書店の中でもっとも『死の貝』が多く配本されたのが、甲府昭和店だ。昭和町は、1956年の調査でも、218名の患者を認め「地方病」に苦しんだ地域でもある。
未来屋書店甲府昭和店は、イオンモール甲府昭和の中にある。ここのイオンは総平米数が11万9000平米、甲府の唯一のシネコンもあり、それ自体が巨大な街のようだ。
3階にある未来屋書店を訪ねると、確かに大々的に展開をしていた。
「日本住血吸虫症」自体は、さまざまな対策のすえ、感染者がゼロとなり、1996年に県知事によって終息宣言がなされている。
人々の記憶はどんどん風化していくが、未来屋書店を一緒に訪ねてくれた甲府出身のNHK甲府放送局局長の藤原和昭は、小学校時代の「日本住血吸虫症」の検便検査を覚えているし、書店員の中には、子供のころ「水田に素足で入ってはいけない」と怒られた人もいた。
『死の貝』の文庫復刊は、そうした記憶を今一度鮮明に蘇らせ、寄生虫による病害を撲滅した日本人の偉業を今日に伝える役割を持つ。
そしてすぐれた作品は、出版社や書店のセンスによって、時代をへて再評価され、もう一度人々に読まれる機会があるのだということを示してくれている。
※AERA 2024年7月1日号
AERA
2024/06/25 11:00