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【下山進=2050年のメディア第29回】Wikipedia三大文学『死の貝』を復刊させた女性書店員の眼力
下山進 下山進
【下山進=2050年のメディア第29回】Wikipedia三大文学『死の貝』を復刊させた女性書店員の眼力
(左から)未来屋書店甲府昭和店では、『死の貝』(小林照幸著 新潮文庫)が大展開している/山梨県立博物館には日本住血吸虫症に関する展示があり、1969年当時の山梨県のポスターを見ることができる    未来屋書店は、イオンの100パーセント出資の子会社で、全国に展開するイオンのショッピングモールに出店している。  井上あかねは、この未来屋書店の本社で仕入れを担当している商品部にいる。2015年入社の31歳。  Xのタイムラインに「ウィキペディア三大文学」の文字が流れてきて、興味をひかれた。昨年は、たとえば秋田県では熊の目撃件数、被害ともに過去最大で、そうしたことからXでも熊の件にひっかけてポストをする人が多かった。そんなポストに言及されていたのが「ウィキペディア三大文学」だった。 「ウィキペディア三大文学」とはいつのまにかネット民がつけた呼称で、読めばおもわず引き込まれてしまうウィキペディアの記事のこと。ウィキペディアは、ソースを明示すれば誰でも編集して書き込めるクラウド型の百科事典だ。  熊で参照にされていたのは「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」の記事。大正年間におきた北海道の開拓民の集落での史上最悪の熊害事件の記事だが、それ以外にも「八甲田雪中行軍遭難事件」とそして「地方病(日本住血吸虫症)」の記事が、「ウィキペディア三大文学」に数えられることを知った。  この三つの記事を井上は丹念に読んでいったが、なかでも「地方病(日本住血吸虫症)」の記事は息を呑む思いで一気読みをした。  山梨県の甲府盆地といえば、ブドウ(全国生産量の25%)・モモ(31%)・スモモ(32%)の出荷量で全国一位をほこる果物王国という認識だったが、それは高度成長期以降の話で、それ以前は水田の広がる米作地帯だった。そこでは武田信玄の時代から、『水腫脹満』と呼ばれる奇病が猖獗(しょうけつ)をきわめる地域だったのだという。  その病気にかかると、腹がふくれ栄養失調のようになり、介助なしで動けなくなると、死ぬ。しかし原因がわからない。甲府盆地特有の病気だとされていた。  この病気の原因の解明から、撲滅にいたるまでの歴史をウィキペディアの長文の記事はまとめているのだが、一冊の本が特に多く引用されていた。  それは1998年に文藝春秋から刊行された『死の貝』(小林照幸)という本だった。  が、その本自体はすでに絶版になっており、アマゾンの中古では1万円以上の価格で取引されている。  そこで井上はひらめき、新潮社営業部の河井嘉史(よしふみ)に電話をする。 「河井さん、ウィキペディア三大文学って知っていますか?」 死んでいた本を生き返らす  新潮社は、「三毛別羆事件」については、吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』を。「八甲田雪中行軍遭難事件」については新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を新潮文庫でもっていた。いずれも毎年約1万ずつ版を重ねるロングセラーで、『羆嵐』は58刷46万9000部、『八甲田山死の彷徨』は、100刷135万4000部を数えている。 「これに『死の貝』を文庫で加えることができれば、三大文学コンプリートします。もし文庫で復刊してくれたらば、全国の未来屋書店241店舗で、大展開します」  井上はこのとき上司に相談して、河井に電話したわけではない。いける、と思ったので電話したのだった。いいよね、そういう社風。  河井はまず本を読まねばと思ったが、アマゾンで調べると一番安い中古でも9000円を越える。河井は上司に断って、経費でこの中古品を入手し読んでみた。  実は、小林照幸さんの『死の貝』は、私が文藝春秋にいた時代に出ている。ただ、小林さんが懇意にしていた編集者が文芸の編集者だったために、ノンフィクションであるにもかかわらず、文芸の局でこの本を出版している。  そうした背景もあったのだろうか、初版は6000部で、実売は4000に届かずに終わった本だった。私の記憶にもほとんどなかった。  この本は、今回文庫で私も読んだが、ノンフィクションでありながら、ミステリーの趣がある。原因不明だった奇病が、寄生虫が原因であることがわかると、その寄生虫がいかにして人体に侵入するのかという謎が今度は提起される。患者の糞の中にある卵から孵化した微生物は、水の中を勢いよく泳ぐが、しかし2、3日で死に、動物の体に入らない。  ここで中間寄生主がいるのではないか、と研究者たちは推理する。その中間寄生主がミヤイリガイという3ミリほどの巻き貝だということがわかる。このミヤイリガイに最初の微生物は入り込み、尾翼のついた形に変態をとげ、これが人体に侵入するということがわかるのだ。水田に農民が入って感染をしてしまうことから、甲府盆地の水田を果樹園にかえることになったのは、地方病の原因がわかって以降の話だ。  河井も夢中になってその中古本を読み、新潮文庫の編集部に連絡をする。  新潮文庫は、コロナが始まってすぐに、カミュの『ペスト』を大重版してヒットさせるなど、既刊本を、売るのが実にうまいレーベルだ。  このときも、即決して、小林に連絡をとり、文庫化を新潮ですることの了解を得る。  実は、ウィキペディア三大文学で言えば、文藝春秋も「三毛別羆事件」「八甲田雪中行軍遭難事件」のそれぞれについて本を持っていた。『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(木村盛武 文春文庫)、『八甲田山から還ってきた男:雪中行軍隊長・福島大尉の生涯』(高木勉 文春文庫)。 が、今回は、まんまと新潮文庫に出し抜かれたということになる。  新潮文庫『死の貝』は1万2000部でスタートし、現在4刷の2万6000部。新潮社の営業部は、三冊を平積みにしておける特製の棚をつくり、全国の書店に配布展開をはかっている。 優れた作品は時をへて再評価される  200店を越える未来屋書店の中でもっとも『死の貝』が多く配本されたのが、甲府昭和店だ。昭和町は、1956年の調査でも、218名の患者を認め「地方病」に苦しんだ地域でもある。  未来屋書店甲府昭和店は、イオンモール甲府昭和の中にある。ここのイオンは総平米数が11万9000平米、甲府の唯一のシネコンもあり、それ自体が巨大な街のようだ。  3階にある未来屋書店を訪ねると、確かに大々的に展開をしていた。 「日本住血吸虫症」自体は、さまざまな対策のすえ、感染者がゼロとなり、1996年に県知事によって終息宣言がなされている。  人々の記憶はどんどん風化していくが、未来屋書店を一緒に訪ねてくれた甲府出身のNHK甲府放送局局長の藤原和昭は、小学校時代の「日本住血吸虫症」の検便検査を覚えているし、書店員の中には、子供のころ「水田に素足で入ってはいけない」と怒られた人もいた。 『死の貝』の文庫復刊は、そうした記憶を今一度鮮明に蘇らせ、寄生虫による病害を撲滅した日本人の偉業を今日に伝える役割を持つ。  そしてすぐれた作品は、出版社や書店のセンスによって、時代をへて再評価され、もう一度人々に読まれる機会があるのだということを示してくれている。 ※AERA 2024年7月1日号
下山進
AERA 2024/06/25 11:00
国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇
米倉昭仁 米倉昭仁
国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇
「三毛別ヒグマ事件」が起こった場所に展示されているヒグマのレプリカ。住居を襲う様子を再現しているという=8月、北海道苫前町    今月2日、北海道南部の大千軒岳(福島町、標高1072メートル)を登山中だった北海道大学の学生が、ヒグマに襲われて死亡した。道内でのクマによる人身被害を振り返ると、明治から大正にかけての開拓時代に重大な被害が多発している。なかでも1915(大正4)年に起こった「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」は、死者7人を出した日本史上最悪の獣害事件だ。さらに23(大正12)年の「石狩沼田幌新事件」では3人が亡くなった。悲劇が繰り返された理由を、専門家は「ある意味、人災だった」と指摘する。 *   *   * 「三毛別ヒグマ事件」は、作家・吉村昭のドキュメンタリー小説「羆嵐」やテレビドラマ、マンガなどで紹介され、広く知られるようになった事件だ。  事件が発生したのは道北の天塩地方、日本海沿岸の苫前村(現・苫前町)。  この地域は大正中期まで、ほぼ全域がヒグマの生息地。クマに襲われた2軒の開拓農家は、三毛別川の河口から20キロほどさかのぼった、そんな山間部で暮らしていた。    第一の事件は12月9日の昼前に起こった。突然、沢の近くにあった家屋(太田家)に巨大なクマが侵入。在宅中の妻と男子を襲って殺した後、妻の遺体を運び去った。  翌日、捜索隊は130メートルほど離れた地点で、ササなどを被せた遺体と、その近くにいたクマを見つけた。遺体のほとんどは食べ尽くされ、頭と四肢下部を残しているにすぎなかった。クマは捜索隊に向かってきたが、鉄砲などで反撃されると立ち去った。  取り戻された遺体は太田家に安置されたが、その夜にあった通夜の最中、クマが再び襲ってきたのだった。     【こちらも話題】 国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった 無防備で生息域に送り込まれた入植者の悲劇 https://dot.asahi.com/articles/-/207250    なぜ、クマは攻撃を繰り返したのか? 「ヒグマは捕獲した獲物に対して強く執着します。遺体にササをかぶせるのは『自分の食べ物だ』という印です。クマはそれを取り戻そうとしたわけです」  長年、ヒグマの生態を調査してきた北海道野生動物研究所の門崎允昭(まさあき)所長は、こう説明する。     三毛別ヒグマ事件の復元地=8月、北海道苫前町    クマは棺桶をひっくり返したが、空砲を撃つなどしたところ、外へ逃げた。  ところがその直後、第二の悲劇が起きた。逃げたクマは森に帰らず、太田家の北500メートルほどのところにあった明景(みよけい)家に侵入したのだ。  この家には妻子6人のほか、同宅に避難していた4人、計10人がいた。ヒグマは1時間近く人を襲い続け、妊婦の腹から引き出された胎児を含めて5人が亡くなった。遺体のほとんどに食害が見られた。    14日、十数人の猟師による狩りが行われ、クマは太田家の北2キロほどの地点で射殺された。  門崎さんはこのクマについて、冬眠直前だったと見る。 「ただ、当時の新聞記事を読むと、痩せていたという記述はありません。ですから、特に食べ物に困っていた、という状況ではなかったでしょう。それでもヒグマは人を襲って食べる猛獣だということです」     【こちらも話題】 リアルな狩猟描写が話題の漫画「クマ撃ちの女」 作者が語る本当の怖さと怪物ヒグマ「OSO18」の“正体” https://dot.asahi.com/articles/-/12434   夏祭りの帰り道での悲劇 「石狩沼田幌新事件」も、北海道開拓時代の1923年8月21日に起きた。  現場となった沼田町は、「三毛別ヒグマ事件」が起きた苫前村にも近い。開拓民一家が夏祭りの帰りにクマに襲われ、食害された事件だ。  現在の留萌本線・恵比島駅跡の近くで太子祭が行われていた。村はずれの開墾地に暮らしていた村田さん一家ら5人は、祭りを楽しんだ後、帰路についた。そして午後11時半ごろ、川沿いの道を北へ4キロほど歩いた地点で突然、闇の中から現れたヒグマに襲われたのだった。    クマは抵抗した2人の息子を激しく攻撃した。ほかの3人は近くの家に逃げ込んだものの、クマはそれを追ってきた。窓に両手をかけて覗き込み、家の中へ入ろうとした。     「石狩沼田幌新事件」が起こった沼田町・炭鉱資料館に展示されている、牛を襲ったヒグマのはく製=沼田町提供    なんとかクマの侵入を防ごうと、シラカバの皮を次々と炉に投げ込み、部屋を明るくするともに、家を覗き込むクマに対して手当たり次第にものを投げ、大声を上げた。  クマは驚いた表情で顔を引っ込めたが、表口の戸を押し倒して、家屋へ侵入してきた。みな、梁の上や押入れ、便所の中に隠れた。  ところが、子どもの身を案じた妻がふらふらと屋外に出たところ、クマが襲いかかった。夫は我も忘れて外へ飛び出し、「ちくしょう、ちくしょう」とクマをスコップで乱打したが、まったく効果はなく、妻を引きずって笹薮の中へ入ってしまった。ヒグマは音を立てて食べ始めたが、誰もどうすることもできなかった。    朝になってクマが立ち去ったので妻の姿を探すと、下半身を全て食いつくされた遺体が見つかった。地面に倒れていた息子の1人も絶命していた。  翌22日に消防団と青年団などが警戒にあたったが、クマは姿を見せなかった。さらに23日、となりの雨竜村(現・雨竜町)から助っ人の猟師らが加勢した。そのうち一人が「俺が仕留める」と言って森へ入ったが、戻らなかった。   「石狩沼田幌新事件」でヒグマに使用されたとされる弾丸=沼田町提供    その間に警官や御料局員らが到着し、24日から総勢220人体制で本格的な討伐作戦が始まった。  午前11時半ごろ、林内を約1.5キロ進んだところで、クマが隊員を襲ってきた。負傷者を出したものの、隊員は発砲。クマは急所を打ち抜かれて動かなくなった。  行方不明になった猟師の遺体はそれほど離れていない場所で発見された。残っていたのは頭だけだった。  仕留められたクマは体長2メートル、体重340キロ。オスの老獣だった。その毛皮は現在も沼田町の炭鉱資料館に展示されている。     【こちらも話題】 「朝一番でシャッターを開けたらクマがいた」 秋田の「マタギ」男性75歳が語る“今年の異常” https://dot.asahi.com/articles/-/206039   「石狩沼田幌新事件」で射殺された体長2メートル、体重340キロのヒグマの毛皮=沼田町提供   クマに無防備だった入植者  道内では当時、クマによる人身被害が後を絶たなかった。それはなぜなのか。  門崎さんは、 「北海道はヒグマを害獣に指定していたにもかかわらず、住民に対してはクマ対策をまったく行っておらず、無防備だったんですよ」  と指摘する。  一方、役人らには「クマよけラッパ」が支給されていた。それは人の存在をクマに伝えるもので、豆腐屋のラッパのような甲高い音が鳴り響くものだ。ところが、開拓民に対してはクマよけラッパを支給することも、使用の奨励もしなかった。    一方、昔から北海道に暮らしてきたアイヌは、外出する際は「タシロ」と呼ばれる鉈(なた)と、「マキリ」という小刀を腰の左右に身につけていた。 「クマは人を攻撃する際、抱きついて頭をかじったり、爪で引っかいたりします。そのとき、どちらかの手が使えれば、タシロかマキリを突き刺せます。アイヌはクマに痛みを感じさせることで撃退できることを、経験的に知っていたんです」  最近の事例では、今年10月に道南の大千軒岳を登山中の消防士がクマに襲われた際、ナイフで目の周囲や首を突き刺すと、クマは逃げ出したという。  しかし、そのようなアイヌが培ってきたクマ対策は、開拓民に活かされなかった。   「石狩沼田幌新事件」でヒグマに襲撃された家=沼田町提供    さらに両事件では、クマは容易に家屋に侵入している。  当時は、家屋の窓や戸口の下に、くぎがたくさん突き出た板を置くといった侵入対策があったが、開拓民のどの家も無防備だった。  門崎さんは、ヒグマはライオンやトラと同じ食肉目に属する猛獣であることを強調する。 「行政はそれを踏まえたうえで、入植者にクマ対策を周知すべきでした。ところがそのような教育がまったく行われず、本州からやってきた人々をクマの生息域に送り込んだわけです。その結果、多くの犠牲者が出ました。なので、人災の側面が大きいと感じています」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)   【こちらも話題】 ヒグマの“恐ろしさ”を知らしめた「日高福岡大ヒグマ事件」とは 「土饅頭」に隠されていた遺体 https://dot.asahi.com/articles/-/206665  
ヒグマ北海道クマ
dot. 2023/11/24 17:30
「OSO18」の肉をネット通販で買った人は要注意…熊肉を食べる前に絶対に知っておくべき寄生虫のリスク
「OSO18」の肉をネット通販で買った人は要注意…熊肉を食べる前に絶対に知っておくべき寄生虫のリスク
(写真はイメージ/GettyImages)  66頭の乳牛を襲ったヒグマ「OSO18」がついに駆除された。ネット上ではその肉が食用に販売されているが、食べても大丈夫なのだろうか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「熊の肉にはトリヒナという寄生虫が存在し、感染すると死に至るケースもある。熊肉の調理には注意が必要だ」という――。 忍者ヒグマ「OSO18」がついに駆除された  「忍者ヒグマ」ともいわれた「OSO18」がついに駆除された。 2019年より、北海道の標茶しべちゃ、厚岸あっけし両町において、実に66頭ものウシがこのヒグマに襲われ、そのうち32頭が犠牲になったという。 66頭ものウシを襲いながら、人間に目撃されたのはたった1度だけ。写真など画像に収められたのも、夜間に自動撮影された3回と、昼間に1回のみという神出鬼没ぶりで、まさに忍者のように用心深い熊だった。  OSO18と命名された理由は、被害が多発した「標茶町下オソツベツ」の地名と、足跡の幅が18センチもあったことによる。ちなみに、「OSO」とはスペイン語で熊の意味であるが、これは偶然の一致である。 推定年齢は10歳以上、体長2.1メートル、捕獲時の体重は330キロだったという。 OSO18の肉が都内のジビエ料理店で炭火焼きに  熊は越冬のため、夏から秋にかけて貪欲にエサを喰らい、太る。 OSO18が駆除されたのは7月末。その時点で330キロもあったとなると、冬眠前の12月ごろには500キロ近くに達していた可能性がある。それほど巨大なオスのヒグマだった。  OSO18は7月30日に釧路町役場の職員によって駆除され、加工会社に持ち込まれた。OSO18の死体は解体され、肉は業者によって販売された。インターネット通販ではたちまち売り切れ、一部は都内のジビエ料理店などで炭火焼きにして提供されたという。 熊の肉は「食べた食物によって味が変わる」  このように、OSO18の肉の大半は、すでにジビエ愛好家の胃袋に消えてしまっていると思われる。   熊の肉はどんな味がするのだろうか。 犬飼哲夫・門崎允昭による『ヒグマ(新版)』(北海道新聞社刊)には、「ヒグマのように個体によって肉の味が違う動物は珍しい。(中略)肉の味はヒグマが食べた食物によってひどく変わることを知った」という記述がある。 OSO18は66頭ものウシを襲っている。散々牛肉を喰らったOSO18だが、その肉は、一体どんな味がしただろうか。ただ、実際に食べた人以外にはもはや知るすべもない。 OSO18の肉を食べて問題はないのか  だが、本当にOSO18の肉を食べてしまって問題はなかったのだろうか。  そもそも研究用にサンプルを残しておくべきだった、という意見もあるだろう。  OSO18を駆除したハンターは、駆除したヒグマが世間を騒がせている「忍者ヒグマ」の「OSO18」とは知らなかったという。そのため、サンプルを確保するという考えには至らず、加工業者に持ち込んでしまった模様だ。 貴重なサンプルが失われたことは残念ではあるが、事情が事情だけに、これ以上の対応は難しかっただろう。  それ以外にも、OSO18の肉を食べる上で気を付けたい点が寄生虫の問題だ。 ヒグマの肉には「トリヒナ(別名、旋毛虫)」という危険な寄生虫が巣くっている。 「トリヒナは身体が糸状の線虫で、これにかかると、ときに死に至ることもある。感染は筋肉に寄生している幼虫、これを筋肉トリヒナというが、これを食べることによって生ずる」(犬飼哲夫・門崎允昭著『ヒグマ(新版)』北海道新聞社刊) 熊の肉を絶対に生で食べてはいけない  札幌市のHPでは、「旋毛虫の幼虫が寄生した肉を、生、乾燥、不完全加熱の状態で喫食した場合に感染します」と注意喚起している。  また、日本国内でこれまでに発生した、冷凍された熊肉を刺身で喫食、あるいはローストした熊肉の加熱が甘かった、といった原因による食中毒についても警告している。  トリヒナの予防方法としては、「熊の肉を生で食べないこと、十分に加熱すること」が鉄則だ。  小樽市は、「中心部の温度が摂氏75度で1分間以上又はこれと同等以上の効力を有する方法により、十分加熱して喫食すること」としている。 さらに、「まな板、包丁等使用する器具を使い分けること。また、処理終了ごとに洗浄、消毒し、衛生的に保管すること」も注意している。 最悪の場合死亡することも トリヒナに感染するとどうなるのか。 まず、下痢、腹痛、発熱などの症状が段階的に現れたのち、脳炎、髄膜炎などに重篤化、最終的には全身浮腫、肺炎、心不全などによって死亡する場合もある。 筋肉痛や眼窩の腫れなど、一般的な食中毒にはない症状が特徴だという(札幌市HPより)。 トリヒナによる食中毒はかなり頻繫に発生している。 昭和46年には、青森県で15名もの感染者が発生。昭和54年には札幌市で12名、昭和56年には三重県で172名もの大量感染が発生している。 近年では、令和元年に札幌市で、「羆ひぐまのいろいろな部位の盛り合せ(推定)」を喫食した9名がトリヒナに感染している。 このように、報告されているトリヒナ被害の多くが、ヒグマあるいはツキノワグマの肉の刺身を喫食したことが原因だという。 熊の肉を刺身で食べ、172名が集団食中毒 昭和56年の末から翌年の正月にかけて、三重県で発生した熊肉の集団食中毒は、172名がトリヒナに感染するという重大事件となった。 昭和56年12月12日、三重県四日市市の旅館で、提供されたツキノワグマの冷凍肉を、利用客5名が生食した。そのうち4名が痒み、発疹、顔面浮腫、筋肉痛、倦怠けんたい感等のトリヒナ症の症状を訴えた。 保健所が調査したところ、この旅館では同年12月から翌年1月にかけて熊肉を提供していた。喫食したのは最初に被害を届け出た5名を含め、計413名にも及んだ。このうち172名に同様のトリヒナ症の症状が認められたという。 しかも、同旅館に残っていたツキノワグマの肉から、トリヒナ線虫が検出されたという。 提供されたツキノワグマは、昭和56年秋ごろに京都府と兵庫県の山中で捕獲された計8頭の肉だった。同旅館はこのうちの約20キロほどの肉を刺身で提供したという。 戦前には5人が死亡した事件も 昭和56年の事件では幸い軽症者のみで済んだが、戦前にはトリヒナ感染で死者が出た事例も記録されている。 「昭和8年の秋は、熊の出没が激しく、住民は作物の被害に頭を抱えた。これはいかんと相談して、米沢・佐藤の両人に熊射ちを依頼した。首尾よく北七線の沢と米沢農場との境界付近で大クマが射止められたので、みんな大喜びであった。 早速、馬橇ばそりにクマを積んで、熊野神社の祠前しぜんの川岸で解体された。熊の毛皮と胆はハンター両人に与え、頭は熊野神社に供え、肉は地元の全員で食べることになり、賑やかな酒宴が催された。 しかし、二、三日後になって、クマの肉を食べた者やその家族らが、猛烈な下痢にかかり、地元に蔓延して遂に五人の死者が出るなどと、大変な騒ぎになった。この原因は、クマのチフス菌によるものと言われた。やがて騒ぎも治まり、だれ言うともなく、一度、神宮にお祓いをしてもらおうという話がまとまった」(『郷土史 ふるさと東川I 創世編』) 「チフス菌」ではなく「トリヒナ症」 記事では「チフス菌によるもの」となっているが、おそらくトリヒナ症だろう。 筆者は戦前約70年分の北海道の地元紙を通読したが、この事件についてはほかに以下の記事が見つかった。 「巨熊を射止む」 旭川近文町十四丁目旧土人阿部ヌサッカ(五九)は数日前、東川村大雪山麓ピウケナイ沢で体重百五十貫の巨熊を射止めた(「北海タイムス」昭和8年10月17日) ちなみに、別の地方紙によれば、「熊は身長一丈二尺、体重百五十貫、年齢十歳以上の牡で近年珍しい巨熊」(「小樽新聞」昭和8年10月17日)という。かなり巨大な熊である。 自宅で調理する場合は要注意 冬が近い時期でもあり、おそらく相当な量の肉がとれたのだろうが、そのせいで5人もの犠牲者が出てしまったのは皮肉だ。 ジビエブームといわれて久しいが、ほとんどの愛好家は生食の危険性を知っているだろう。 しかし本人に自覚があっても、加熱が甘かったり、調理具の消毒の不備などで感染することはある。 実際、本稿で紹介した集団食中毒事件の多くは、そうした処理に精通したプロが起こしている。 今回ネット通販でOSO18の肉を買い、自宅で調理する人たちは、少なくともトリヒナという寄生虫の存在と、最悪の場合は死に至ること、そして予防方法について十分理解した上で食してもらいたい。
OSO18ジビエ寄生虫食中毒
プレジデントオンライン 2023/09/26 07:00
森の守護獣?危険な猛獣?もしもクマが山からいなくなったら…?
森の守護獣?危険な猛獣?もしもクマが山からいなくなったら…?
春の山菜取りから夏山登山・川遊び、秋の紅葉狩り・きのこ狩りと、例年であれば、人々が山でレジャーを楽しむ期間は、そのまま日本列島に自然分布する唯一の猛獣「クマ」の活動期にあたります。 近年、毎年のようにクマ関連の事件が多発するようになっています。その原因についてさまざまに推測され、「クマは飢餓状態にあり困って人里に下りてくる」という意見から「クマは明らかに数が増えている。人を恐れなくなっているクマにはより徹底的な駆除が必要」という意見まで、クマをめぐってさまざまな主張や議論がなされています。今、日本のクマは実際どういう状態で、彼らが絶滅したらどんな影響があるのでしょう。「クマ問題」について考えてみました。ニホンツキノワグマは近年、数が増えているとされていますが… クマは絶滅しても生態系に影響がない? 世界にはクマ科の現生種は、あのジャイアントパンダを含めて8種類。このうち日本には本州以南にアジアクロクマ(ツキノワグマ)の島嶼亜種ニホンツキノワグマ(Ursus thibetanus japonicas)、北海道にはヒグマの島嶼亜種エゾヒグマ(Ursus arctos yesoensis or U. a. ferox Temminck, 1844)の二種が分布しています。 毎年、ヒグマは約300~600頭、ツキノワグマは約2,000~4,000頭もの個体が捕殺されています。以前にはヒグマはおよそ2,000~3,000頭、ツキノワグマはおよそ1万頭前後が生息しているとされていたのですが、捕殺数の多さから、どうももっと多いのではないかという推測もされています。 最新の推計によればヒグマは全道で4,000~1万7,000頭(北海道環境生活部環境局 2014)、ニホンツキノワグマは既存情報の集計から約1万2,000~1万9,000頭(環境省 2011)、とりわけツキノワグマは階層ベイズ法によれば最大値9万5,000頭以上との推測(ただし捕殺数から生息を類推する階層ベイズ法では捕殺が増加すると生息数も増大するという矛盾した問題も出てくるため、その数値の確度については疑問や異議が提示されています)もあります。約10万頭という推測はやや多すぎる気がしますが、3万程度の頭数は十分あり得ます。というのも、ツキノワグマの分布域拡大は、2000年代に入ってから各地で顕著な傾向だからです。ツキノワグマの個体数がもともと多い秋田や岩手などの東北地方での分布域が拡大しているばかりか、生息数が少ないとされてきた近畿や中国地方の街中、クマの分布が認められなかった茨城県、神奈川県の丹沢や箱根に接する街中などに出没するなどし、時に人を襲い命を奪うといった事象も起こっています。 クマは大きな体と強い力を持つ動物で、自然界に天敵がいません。でありながら積極的に草食獣を捕らえて食べることはほとんどないため、オオカミやライオン、タカのような生態系の頂点に位置するアンブレラ種とは言いがたく、生態系の中での役割があいまいなため、人間に害を及ぼすくらいならば徹底的に殺処分して数を減らすか、絶滅させてもかまわないといった極端な意見も時折提示されます。 本当にクマにはなんら役割がなく、死に絶えても何も影響はないのでしょうか。愛嬌のある見た目からファンも多いのですが、元来肉食の猛獣です 元肉食獣「クマ」は、日本列島の森林を維持管理するマネージャーとなった クマ科の共通の先祖は、中新世の約2,000万年前、食肉目から分岐したDawn Bear(暁の熊 Ursavus elmensis)まで遡ることが出来ます。小型の犬ほどの大きさで、ジャコウネコのような長い尾をしていたようです。その後クマ科はユーラシア・北米大陸で徐々に巨大化していきます。食肉目の肉を食いちぎる裂肉歯が退化し、臼歯が丸みを帯びて尾は短くなり、足は太く短く、体重や骨格が太く重くなって、ネコ科やイヌ科に見られるかかとを上げてつま先で歩行する趾行(しこう)から、かかとまでべったりと地に付けて歩く蹠行(しょこう)性に変化しました。 この変化は、獲物となる草食哺乳類の巨体化に対応してサイズアップしたとも考えられ、その進化分岐の過程では、約200万年前に、史上最強の陸生肉食哺乳類とも目されるアルクトテリウム・アングスティデンス(Arctotherium angustidens)が出現します。後ろ足で直立したときの背丈は4.5m、四足状態での肩高ですら2.5m、体重は1.5~1.8tもあったとされます。 このアルクトテリウム・アングスティデンスを含むアルクトテリウム属(Arctotherium)は、ショートフェイスベアともいわれ、現代のクマよりも足が長く健脚で、強大な牙があり、当時多く生息していた巨大な草食獣を捕らえて食べる肉食に特化した種だったと考えられています。 現在のクマ科の多くは雑食です。更新世の終わり、寒冷化とともに地球上に大繁栄していた大型の哺乳類が次々と絶滅、小型化したすばやい草食獣たちを大きなクマが捕らえることは困難となり、クマは植物食に傾く雑食に適応したとされています。 現代、肉食に特化しているのはホッキョクグマのみで流氷を盾にして潜み、アザラシやセイウチなどの海生大型哺乳類を獲物とします。北極という特殊な環境のおかげで彼らはその巨体で本来の肉食の生態を維持出来ているのでしょう。 私たちはまず、クマが本来肉食獣であり、獲物を捕らえて食べる本能を内に秘めていることを理解する必要があります。そして次に、クマが寒冷化に適応して進化した、寒帯から冷温帯に順応した生き物であるということも把握しておく必要があります。 日本列島が大陸とつながっていたとされる氷河期時代、ヒグマとツキノワグマは再三にわたり大陸から渡ってきて、全土に住み着きました。今よりも冷涼な更新世の氷河期時代、日本列島は現在の秋田県や青森県にまたがる白神山地のブナ原生林のような落葉広葉樹の森林がずっと南まで広がっていました。やがて地球が温かくなり照葉樹林が広がり始めると、ヒグマは本州以南からは絶滅し、ツキノワグマの生息分布も北日本に偏在するようになります。クマは暖地の照葉樹のシイやカシのドングリも食べますが、何より好物はブナやナラなどの寒冷地のドングリです。 クマは夏から秋にかけて、ドングリ類の実を、木によじ登り太い枝に腰掛けて小枝を折り取り実を食べます。食べ終わった残りの枝はどんどんお尻に敷きこんでいきます。こうして出来た大きな鳥の巣のようなハンモックは「熊棚」と呼ばれ、ヤマネなどの樹上性の小動物の棲家になる他、枝を折り取ることで日光が林の中に差し込むギャップが作られ、サルナシやヤマブドウなどの植物の生育に役立ちます。この熊棚によるギャップは台風の倒木などで出来るギャップの6倍ともいわれており、森の新陳代謝の大きな役割を果たしています。 また、行動半径の広いクマは、消化されなかった木の実の種子を多く含んだ糞を広範囲に落とし、樹木の拡散と更新にも貢献しています。人にとって大きな脅威であるスズメバチも、クマにとってはご馳走。巣ごと襲って幼虫を食べてしまいます。 海から川へ遡上してくる鮭も、ヒグマが食べ、広域を歩き回ることによって、その排泄物を通じて川沿いだけではなく山奥まで海の滋養がもたらされることになります。 一方、寒冷期に列島に住み着いて狩猟採集で生計を立てた日本人の祖先は、縄文・弥生時代の温暖化に応じて、氷河期時代の馴染み深い落葉広葉樹を低山の森林に手入れすることで維持し、南方種である稲栽培と融合させて里山環境を作り上げました。 つまり人類とクマは、森林が全土の七割を占める日本列島において、ともに広葉樹の森を維持するマネージャーのような役割を果たしてきたのです。人間の生産活動や食べ物の好物(木の実、山菜やタケノコや蜂蜜など)がかぶるクマが、里山や低山などの接触地帯で衝突してしまうのは、ある意味仕方のないところもあるのかもしれません。クマが木に登り、木の実を食べながら枝を座布団にした熊棚 クマの絶滅は森林の壊滅。その理由とは? クマが人里に出現する理由として、「かつては農村で維持管理されていた里山が放棄され、緩衝地帯がなくなったからだ」という言説がよく聞かれます。しかしすでに述べているとおり、里山環境はクマにとっては好物の木の芽や木の実、蜂の巣などが豊富にある好ましい場所なのです。里山整備がクマの街中の出没を防ぐ手だてになるとは思われません。 また、林業の衰退によってスギ・ヒノキの人工林が荒廃し、むしろ植物相が自然林に近くなり、えさが豊富にあるからクマが増え、増えすぎた個体が山を降りてくる、という見立てについても大きな疑問があります。というのも1990年代から目だって顕著になってきた病害虫による森林木被害が、近年いっそう増しつつあるからです。それはカシノナガキクイムシ(Platypus quercivorus)によるカシ、シイ、ナラ類の枯死問題です。かつては木炭材として盛んに利用されてきたそれらの樹木が戦後利用されなくなり大径木化することでカシノナガキクイムシの大繁殖を招き、各地で大量枯死を招いているのです。 また、地球の寒冷期に繁栄進化したブナにとって、人類の産業活動による環境汚染は大きな負荷と衰弱をもたらしています。世界自然遺産の白神山地のブナ原生林では、本来3~5年ごとにしか実をつけないブナが毎年実をつける現象が確認されています。一見よいことのように思われますが、ブナのシイナ化(中に種子のない殻だけのうつろな実)が多発し、このためブナが必死に毎年花をつけているのです。消耗したブナはいずれ枯死することになります。ブナ林の減少・死滅は、分類樹モデルによる予測では最悪の場合10~30年後には現在の半分以下に減少し、世紀末にはほぼ壊滅するとの試算もあります。 今のところブナ・ナラ林は漸減しつつも維持され、かたや山村・農村の過疎化や農地の放棄で、一時的にクマたち野生動物には食糧が手に入りやすい状況です。しかし中長期的に見ると、ブナやナラの死滅、続いてカシやシイが死滅すれば、野生動物たちの食糧が激減する深刻な岐路が必ずやってくるでしょう。クマの大切な食糧源のブナの実。ブナは危機に直面しています いわば、森の守護獣であるクマを保護するためには、彼らが肉食獣であり、ときに人を襲う可能性があることを理解し、適度な狩猟圧に加えて、彼らの住処である森林を良質に保つための努力を続ける必要があります。 木炭の使用・需要は炭素排出になりますが、森林が維持されれば排出される炭素は適切にふたたび植物に吸収されます。その循環の中で、クマとの共存をはかっていくことが出来るのではないでしょうか。 広大な森林が屋台骨となっている日本列島。クマが絶滅するときは山が死滅するときであり、その次にはこの国に暮らす人間に大きな困難が襲ってくるかもしれません。 参考・参照 ・日本の動物 旺文社 ・生物大図鑑 動物 世界文化社 ・「ツキノワグマおよびヒグマの分布域拡縮の現況把握と軋轢抑止および危機個体群回復のための支援事業」報告書 ・クマ類の出没対応マニュアルの改定について ・クマ類による人身被害について [速報値] ・林野庁 ナラ枯れ被害量の推移 ・クマやオオカミの駆除へ、人への襲撃増加で ルーマニアクマは日本列島の広大な森に寄り添い生きてきました
tenki.jp 2021/06/05 00:00
ホッキョクグマの受難から地球環境について考えよう。2月27日「国際ホッキョクグマの日」
ホッキョクグマの受難から地球環境について考えよう。2月27日「国際ホッキョクグマの日」
北極圏に生息し、地上最大の肉食獣とも言われるホッキョクグマ。真っ白い被毛から日本では「しろくま」とも呼ばれます。2月27日は、「国際ホッキョクグマの日(International Polar Bear Day)」。国際的な動物保護団体「Polar Bears International」が2005年に制定した記念日です。地球温暖化が叫ばれるとき、温暖化の影響により氷が充分に張らない北極で狩りができずに痩せこけてしまっているホッキョクグマの映像も流されます。なぜ、氷が張らないとホッキョクグマは飢えてしまうのでしょうか。その特異な生態と地球環境の関係とは?極寒の北極圏で懸命に生き抜くホッキョクグマの親子 北極圏に完全適応進化した氷海の白い王者 ホッキョクグマ(Ursus maritimus / Polar bear)は、ネコ目(食肉目)クマ科クマ属に分類され、オスは体長2.5m以上、肩高1.6m、体重は大きな個体は600kg以上にもなり、クマの中でも最大種とされてきました。記録上最大のホッキョクグマは、なんと1tを超えていたとか。生息域は北アメリカ大陸北部、ユーラシア大陸北部のいわゆる北極圏で、推計では野生のホッキョクグマは現在26,000頭ほどとされており、国別ではホッキョクグマの生息するカナダ、アメリカ、ノルウェー、ロシア、デンマークの五カ国のうち、カナダに全頭数の大半にあたる60%が生息しています。 ホッキョクグマは陸生でありながらほとんどを海の上、海氷上で過ごし、また頻繁に海にもぐり、何時間も遊泳します。雑食性の高いクマの中ではもっとも肉食性がつよく、その獲物は北極圏に棲む大型の動物で、セイウチやベルーガなども捕食しますが、もっとも主要な獲物はアザラシです。体脂肪が豊富なアザラシの脂肪分を大量に摂取することで、ホッキョクグマ自身が分厚い脂肪を蓄えて、寒さに耐える巨体を維持するのです。獲物を捕らえる際は、海中に潜行し、氷上のターゲットに水面下から近づいて一気に襲い、仕留めます。 また被毛は実は透明で光を乱反射して氷上で保護色となるうえ、毛髄の部分は中空になっており、空気をためられるため保温性が抜群であることも有名です(ちなみに、毛髄が中空構造になっている動物は、たとえばカシミヤヤギ、アンゴラヤギ、アンゴラウサギ、アルパカ、ラクダ、エルクなどもが挙げられます)。 繁殖期(交尾期)は3~5月ごろの春で、同時にこの時期は来たるべき夏に向けて、旺盛に狩りを行い、栄養を摂取して太ります。海氷上で狩りをするホッキョクグマにとって、氷が解けて後退する夏季は、獲物が思うように捕れず、飢餓に陥る時期だからです。この間はトナカイや海鳥などの死肉、海草や木の実などを食べてどうにかしのぎます。ホッキョクグマの消化器系は、アザラシ、イルカ、セイウチなどの脂肪質でカロリーが高く、かつ海洋生物を常食している海洋哺乳類の摂取に適応しており、陸生の生物を運よく摂取しても、飢餓を満たすことは出来ません。このため、ホッキョクグマは餌がほとんど取れない夏の間、代謝活動を極限まで落として「夏眠」します。動かなくなるわけではなく、普通に歩き回るのですが、ボーっとした夢うつつの状態でエネルギー消費を抑えて過ごすのです。ハイカロリーの大型海洋哺乳類を捕食して巨体を維持します 温暖化はどうしてホッキョクグマの危機になるのでしょう? このように、極寒の海洋地帯である北極圏の環境に見事なまでに適応進化したホッキョクグマですが、北半球の温帯域を中心に亜熱帯や亜寒帯に生息するクマが、いつごろ北極に進出し、進化したものなのか、過去から現在まで、長く研究や議論が行われてきました。ヒグマと近縁であることはわかっており、その分岐の時期がいつなのか、また、ヒグマから枝分かれしたのか、共通の原種から分岐したのか、などについて、さまざまな仮説や根拠が提示されてきたのです。 ホッキョクグマの化石痕跡は極めて少ないため、その進化過程は長い間謎でした。21世紀に入って、わずかなホッキョクグマの化石痕跡を解析したり、現生ホッキョクグマや近縁とされるハイイログマ(グリズリー)などのミトコンドリアDNAや核DNAの分析を通し、ホッキョクグマが登場した時期を探る研究が次々と打ち出されていますが、未だどの説も決定的な根拠を提示できているとはいえず、その時期も十数万年前から500万年前、と幅があります。 十数万年前の比較的近年の分岐だとする学説では、ホッキョクグマの完璧とも思える極地地域での適応進化があまりに急激過ぎるという瑕疵がある反面、ホッキョクグマと一部の北方系ヒグマに交配の痕跡が発見されていることなどとは整合性があります。 一方500万年前とする学説には、ホッキョクグマの進化タームには無理がないものの、DNAから明らかになったヒグマとの交配については、500万年もの太古にヒグマとホッキョクグマとに分岐したのなら、子孫を残せる交配が可能であることが説明困難になるのです。今のところ、約60万年前ごろにヒグマとの共通の原種から分岐進化した、とする説が有力とされています。 ホッキョクグマの進化の謎の解明が急がれていますが、その理由は近年叫ばれる地球環境の温暖化の影響で、北極圏に急激な環境変化が生じているからです。 この数十年で、極地の海氷面積は、急速に減少しています。極地の気温の上昇は、秋の海氷形成を遅らせ、春の海氷の解凍を早めます。これはそのまま、凍りついた海での海獣捕食に特化したホッキョクグマが、獲物にありつけない時期が長くなることを意味し、近い将来、北極の氷とともに、ホッキョクグマは絶滅する危険性が指摘されているのです。こんなにも愛くるしい動物が消えてしまうとしたら… ホッキョクグマの生存圏を守るには… 近年叫ばれる地球温暖化とは、自然物理現象や自然生物の生命活動以外の人為的な資源の燃焼放出によって、地球大気に太陽からの入射熱が滞留することですが、その原因物質は二酸化炭素(CO2)、一酸化二窒素(N2O)、メタン(CH4)、フロンガスなどの人工的ハロゲン物質があり、それぞれ大気寿命が異なるため単純な比較は出来ないものの、二酸化炭素の温室効果が全体の63%を占めると計算されています。 ところで温暖化と寒冷化には、それぞれにメリットとデメリットがあり、どちらかといえば寒冷化することこそ生物にとっては不都合であり、温暖化は歓迎すべきことである、といった考え方もあります。 確かに、温暖化と二酸化炭素の増加は植物の繁殖にとって有利であり、寒冷化はその逆です。寒冷化こそ、世界の食料生産の減少を招くと言えるでしょう。 しかし、それはあくまで人間の出す過剰な二酸化炭素を吸収してくれる植物=樹木や草本、海草、シアノバクテリア(cyanobacteria 藍藻)が充分に存在してこそ、です。温暖化により食料は増産され、植物の繁茂が温暖化を押し戻すことにより、寒冷化を促しバランスが保たれるのですが、今世界中で起きていることは、森林の伐採や土壌の遮蔽です。人間の経済活動の大半は、住環境を都市化することに注がれており、植物が繁茂するための土地を急速に奪い取っているのです。 温暖化対策にはまず「緑を増やす」ことは必須なのですが、一方で植物による二酸化炭素吸収の効果を否定しようとする言説があります。植物が発芽し、繁茂し、朽ちて腐敗するまでのプロセスで排出する二酸化炭素と酸素は同量なので植物を増やしても意味がない、というのです。 ですが、それならば、動物の生命活動や火山の噴火、山火事など、日々排出される二酸化炭素はまったく吸収されずにたまり続けることになり(何しろ植物がどれほど光合成で二酸化炭素を吸収して酸素を排出しても、その分二酸化炭素を排出して相殺されてしまうというのですから)、人間が経済活動で二酸化炭素やメタンやフロンを排出しようがしまいが、地球は日々刻々二酸化炭素が増え続ける、ということになります。 植物による二酸化炭素の吸収と酸素の供給という効果を矮小化する言説は、温暖化抑止政策自体を否定することになります。 地球史で植物が大繁殖した時代には、酸素が増加する一方で二酸化炭素が減少し、地球は寒冷化しています。これは、植物の生成する酸素が、排出する二酸化炭素よりはるかに多いということを意味します。 仮に化石燃料の使用を削減しても、自然再生エネルギー生産施設が巨大化すれば、森林破壊を化石採掘以上に加速させることになってしまいます。自然エネルギーはマイクログリッド(小規模発電の発送電システム)網の構築により、その効果を発揮するものです。マイクログリッドと森林の保全こそ、北極の自然を守り、ひいては私たち人間の生活も守るものではないでしょうか。海氷の下に潜り獲物に近づく。体型は遊泳に適応進化しています 参考 ホッキョクグマ・生態と行動の完全ガイド  アンドリュー・E・デロシェール 東京大学出版会 【気候変動】地球温暖化に動じない植物北極海の海氷の上が彼らのふるさと。ここ以外に生きる場はありません
tenki.jp 2020/02/27 00:00
クマにトラ…大雪次候はドハデな猛獣シリーズ!七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」
クマにトラ…大雪次候はドハデな猛獣シリーズ!七十二候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」
12月12日より、大雪の次候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」 となります。渋川春海により編纂発布された日本初のオリジナル暦・貞享暦では、それまで使用していた中国の宣明暦の七十二候の大幅な書き換えもおこなわれました。このとき、宣明暦での「虎始交(とらはじめてつるむ)」を「熊蟄穴」に書き換えられました。日本には生息しない生物を春海は除外したようですが、トラからクマへ。いずれにしても陸生動物の生態系の頂点にいる大型猛獣。また、どちらも巨大亜種伝説のある動物です。そろそろ冬眠… 続々判明する「クマ型冬眠」の神秘 ご存知の通り、日本在来種のニホンツキノワグマ、エゾヒグマとも、冬の訪れとともに木の洞や狭い洞窟などに篭り、冬眠をします。上野恩賜動物園では、2006年からツキノワグマの「冬眠チャレンジ」の試みを行い、ツキノワグマを東京の自然な温度変化下で冬眠させ、さらには冬眠期間中に妊娠・出産する習性を再現して出産させることにも成功していますが、動物園の冬眠入りも、大雪のこの頃、12月中旬前後のようです。 熱帯・亜熱帯地方を除く高緯度から中緯度に生息するクマは、どれも特異な仕方で冬眠しますが、アラスカのアメリカクロクマは冬眠期間が長いことで知られ、何と約5~7カ月。一年の半分を冬眠に費やすことになります。冬眠する動物は体温が10度下がるごとに代謝数値が半分ほどになるのですが、アメリカクロクマは冬眠時の平均体温でも33度を保ち、夏季の活動時と比べわずか5~6度低い程度。にもかかわらず代謝を活動期の4分の1にまで落としているのです。1分間の心拍数は、活動時が55回なのに対し、冬眠モードでは9回に。人間であればこんな心拍数まで下がると気絶して瀕死の状態になってしまいます。さらに、コグマを産み落とし、授乳育児をしている母グマの場合はコグマを暖める必要性から、さらに体温は高い状態を保ったまま、前述したような代謝機能を低下させているのだそうです。一体どんなメカニズムでそのような「魔法」が使えるのか、まだまだ不明なことも多く、解明が待たれます。グリズリー 大型肉食獣の中でもトラは最もピンチです! さて、宣明暦での大雪次候「虎始交」。トラのつがいがこの時期、交尾をはじめる、と言う意味です。中国国内には、中国固有種のアモイトラ(華南トラとも・Chinese tiger/ Panthera tigris amoyensis )が揚子江周辺の南部地帯に、ロシア、朝鮮半島と接する北東部にはアムールトラ(シベリアタイガーとも・Panthera tigris altaica)が生息しています。このうち、冬季を中心に、11月から翌年の春ごろまで交尾をする習性があるのは北方種のアムールトラで、「虎始交」はアムールトラについて語っているものと思われます。 アムールトラは、現在生息するトラの亜種6種のうちの最大種であるばかりではなく、動物園での血統が生き残ってはいるが、野生種の絶滅が確認されているバーバリーライオンをのぞけば、原生野生ネコ科動物中でも平均値で最大種でもあります。ただしその体格については長毛種であることなどもあり、かなりバイアスがかかって大げさに書かれたものが多く、実際にはベンガルトラやライオンと比べて格別な差ははなく、種間の差よりもむしろ個体差の方がばらつきがあるのが現実です。 かつては一時期、激減して200頭ほどにまで落ち込みましたが、現在保護活動により何とかロシアに4~500頭、中国東北部に数十頭ほどにまで回復していますが、回復も頭打ちの状態で、深刻な絶滅の危機からは脱しきれていません。 華南トラのほうは更に深刻で、1950~60年代、盛んに害獣として射殺されたために激減し、すでに自然界から実質絶滅したとも言われます。全世界で確認されている数はわずか100頭あまり。そのすべてがたった6頭のアモイトラの子孫で近親ばかり。近親での交配が繰りかえされることでのリスクも年々さしせまったものになっています。 現在世界にはヒグマ類は13万頭、ライオンは2万から5万頭ほどいると推定されていますが、それと比べてもトラの数は極めて少なく、すべての亜種を含めて1万頭程度。全世界にたったそれだけしかいないのです。絶滅の危機に瀕しています。この美しい動物が失われることは、あってはなりませんよね。こんなに美しいトラが絶滅の危機だなんて… 強さの象徴・クマもトラも巨大種伝説がいっばい 日本のクマは食性が植物食よりであること(ツキノワグマだけではなく、近年、エゾヒグマも肉食性が低く、鹿や鮭をさほど食べていない、ということが判明しました)から、クマとしては小型が多いのですが、ホッキョクグマやコーディアックグマ、ハイイログマなど、世界には雲つくような巨大グマが多くいます。 しかし、それらよりもっと大きなクマがいる、といううわさがあります。それが19世紀のナチュラリストで冒険家のロバート・マクファーレン (Robert MacFarlane) がイヌイットから頭骨と被毛を譲り受けた「マクファーレンズ・ベア」です。その巨大さもさることながら、頭骨の形がそれまでのクマのどれとも違っていたため、マクファーレンはスミソニアン博物館に詳しい調査を依頼しますが、そのまま忘れ去られて半世紀。20世紀に入りたまたま倉庫から見つけ出され、解析がおこなわれた結果、そのクマはシロクマとグリズリー(ハイイログマ)の混血種であることがわかりました。その大きさは立ち上がると3mをはるかに越え、現生のどのクマよりも大きいと推定されました。 この事実は、大きさよりも、シロクマとグリズリーが自然交配わしている、という事実を明らかにしたことにより大きな意味がありました。2006年にも、このシロクマとグリズリーのハイブリッドと見られる巨大なクマが、狩猟者によってしとめられています。 ハイブリッド種が大きくなるのはクマに限ったことではなく、大型ネコ科でも、ライオンのオスとトラのメスを掛け合わせたライガーは、とてつもない大きさになることで知られています。これは、ライオンのオスに巨大化遺伝子が存在すると同時に、ライオンのメスには熱帯のサバンナで狩りがしやすい身軽さを獲得するための成長抑制因子が存在し、結果としてライオンの体格を現状の大きさにとどめているのですが、トラのメスにはそうした抑制因子がないので、ライオンのオスの成長遺伝子が抑制されずに発現して巨大化するのだといわれます。その体長は尻尾を除いた大きさで3mを越えて、「ナルニア国物語」に登場するライオンのアスランのような巨大さです。ただし、マクファーレンズ・ベアとはちがいライガー(もしくは父トラと母ライオンから生れたタイゴン)には内臓疾患や生殖能力の欠如などの障碍が発生することが多く、現在作出は禁止・抑制されています。 トラの巨大種と言えば、1980年代に悲しいことに絶滅したジャワトラの先祖に当たる、更新世のインドネシアに生息していたガンドントラ(Ngandong Tiger)は、体長が4m近く、体重も500kgだったと推定されるスーパーキャット。 ステラーカイギュウ、マンモス、バーバリーライオンなどなど、人間が絶滅に追いやった大型動物は数多く、もし人間がもう少し残酷でなかったら、空想や想像で語られる巨大なクマやトラ、ライオンが、今もたくさん駆け回っていたかもしれません。 シリーズ:クマの冬眠の謎にせまるライオンとトラの混血、ライガー。どちらに似てる?
tenki.jp 2017/12/12 00:00
雪男「イエティ」は実在した!?“第3の人類”の最新研究から医師が診断
早川智 早川智
雪男「イエティ」は実在した!?“第3の人類”の最新研究から医師が診断
雪男「イエティ」は実在したのか。近年、イエティのDNAが現代人のゲノムに残っていたとも言える報告がなされているという (※写真はイメージ) 『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、イエティ(雪男)の存在について解説する。*  *  *【イエティ (生没年不詳)】 筆者の勤務先の山岳部は猛者ぞろいである。槍穂高もままならぬ筆者にとって、ヒマラヤ遠征の話など本当に羨ましい限り。話に聞く大氷河やモレーンに太古の昔から残る高山植物、高山蝶など見てみたいものがたくさんある。中でも興味のあるのは雪男(イエティ)である。■毛むくじゃらの巨人 イエティとは、シェルパ族の言葉で岩を意味する“Yah”と動物を意味する“Teh”が語源とされる。古くからその存在が伝えられてきたが、19世紀英国の探検隊が巨大な足跡を報告し、多くの目撃情報が寄せられるようになった。共通点は毛むくじゃらで巨体だが素早い行動を取ることで、僧院や猟師の家に頭皮、遺骨が伝えられる。現生人類との競争に敗れた猿人の生き残りではないかと期待されたが、DNA鑑定ではいずれもヒグマやカモシカのものだった。しかし、近年イエティのDNAが現代人のゲノムに残っていたとも言える報告がなされている。  世界の中で標高3000m以上に居住するのはアンデス高地民、エチオピア高地民そしてチベット高地民である。彼らは各々「ヘモグロビン増加」「酸素飽和度増加」「血流増加」という三つの異なった方式で適応してきた。 マラソンの選手が高地トレーニングを行うとヘモグロビンが増えてくるので、アンデス高地の適応は後天的なものである。この方法の致命的なところは必然的に多血症による合併症を伴うことで、脳循環障害の重要な要因となる。 一方、チベットではヘモグロビン濃度はむしろ低く、これを上回る肺活量、肺換気応答、血流増加などの適応が生じる。この形質はEPAS1(hypoxiainducible factor-2α;HIF-2α)ハプロタイプによって遺伝することが判明した。この事実を明らかにした米国カリフォルニア大学バークレー校のNielsenのグループは、チベット人に多い変異型EPAS1の持ち主を世界中に求めたが、現生人類ではチベット人と近縁のシェルパ族、そして漢民族のごく一部に見つかっただけだった。彼らはさらに、ネアンデルタール人を含む化石人のゲノムを比較したところ、この変異が数万年前に絶滅した先史人類デニソワ人に由来することが判明した。 ■第3の人類 現生人類(ホモサピエンス)に最も近いのはネアンデルタール人であるが、この2種と共存した第3の人類がデニソワ人である。2008年にロシア西シベリアのデニソワ洞窟で発見された子どもの骨と、成人の臼歯のDNA解析から、彼らは100万年ほど前に現生人類と別れ、さらにネアンデルタール人と64万年前に分岐したと推定されている。 出土品が極めて少なく、どのような生活環境にあったのか全く分からないが、おそらく低温低酸素に適応し、彼ら(彼女ら)と交雑した現生人類の中でヒマラヤ高地に住む人々が有利なEPAS1を受け継いだのだろう。 さらにごく最近、自然免疫に関与するTLR1とTLR6、TLR10で、アフリカ人に見られないハプロタイプが日本人を含む東アジア人に見つかり、その一つがデニソワ人由来ということが判明した。免疫の進化には病原微生物が非常に重要な役割を果たすので、我々の先祖はアフリカの地を出て、日本列島に至る長旅の中で様々な感染症と出合い、シベリアや中央アジアにいたデニソワ人やネアンデルタール人(あるいはその血を引く人々)と交雑して遺伝的多様性を広げていった。 雪男は数万年前、確かに酷寒のシベリアからヒマラヤに生存し、われわれの先祖と交際していたのである!
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 2017/11/09 07:00
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