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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第4回 ヤードバーズ『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』
第4回 ヤードバーズ『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』 エリック・クラプトン加入から半年、サニー・ボーイ・ウィリアムスンとの共演から3カ月後となった1964年3月13日、ヤードバーズはロンドンのマーキー・クラブで、作品化を前提とした本格的なライヴ・レコーディングを行なっている。その成果が、同年暮れにリリースされた『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』。これが、発表順でいうと、クラプトン初の公式アルバムとなった。
第3回 ロバート・ジョンソン『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ』
第3回 ロバート・ジョンソン『キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ』 すでに書いてきたとおり、クラプトンは、兄=叔父の影響で幼いころからアメリカ音楽に触れていた。その後、ちょうど思春期を迎えたころ、ロックンロールやロカビリーを知った彼は、ギターにも興味を持つようになり、なにかに導かれるようにして、すべての原点としてのブルースと出会っている。「はじめてブルースを聴いた時の気持ちを説明するのは難しいけれど、ともかくブルースは、その瞬間、私のなかに入りこんでいた。まるで、前世で出会っていたなにかに再会したような気分だった。本質的な部分で私の心に響くなにかを持っていた」。自叙伝『クラプトン』(2007年)のなかでは、そんなふうにブルースとの関係を語ってもいる。
第2回 『サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ+12』サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ
第2回 『サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ+12』サニー・ボーイ・ウィリアムソン&ザ・ヤードバーズ 「兄」として接していた叔父の影響もあって、エリックは物心がついたころから、さまざまな形で音楽の魅力に触れていた。また、生い立ちの秘密と複雑な家庭環境を知ったのは、いわゆる「ロックンロール誕生」とほぼ同時期である。彼もまたその熱気を感じとったはずであり、やがてそれが、ブルース音楽への興味と関心につながっていくこととなった。はっきりと意識していたかどうかはわからないが、音楽は、群れることを好まなかったという少年にとってある種の救いでもあったようだ。そして、ごく自然な流れとして、エリックはギターを手にする。
第1回 『レプタイル』エリック・クラプトン
第1回 『レプタイル』エリック・クラプトン のっけから喧嘩を売るようで申しわけないが、エリック・クラプトンを紹介するときによく使われる「ギターの神様」というフレーズが大嫌いだ。たしかに彼は、なにかに導かれるようにして出会ったギターをほぼ独学で究め、卓越した演奏を核に多くの名曲、名演を残してきた。いわゆるロック・ギターのもっとも重要なパイオニアであることは、多くのミュージシャンやメディアのほぼ一致した見解だ。だが「ギターの神様」は、なんだか、そのすべてをいかにも軽いものにしてしまうような気がしてならない。
第61回 NEIL YOUNG GUEST APPEARANCES  WARREN ZEVON / SENTIMENTAL HYGENE,NILS LOFGREN / CROOKED LINE
第61回 NEIL YOUNG GUEST APPEARANCES  WARREN ZEVON / SENTIMENTAL HYGENE,NILS LOFGREN / CROOKED LINE ソロ・アーティストとして第一歩を踏み出してから46年。この間ニール・ヤングは、プロデュースや演奏に関して、有名クリエイターや大物アーティストを招いたり、彼らの手に委ねたりはしないというスタンスを、ほぼぶれることなく、守りつづけてきた。いつもそばにいるのは、デイヴィッド・ブリッグス、クレイジー・ホースの面々、ベン・キースなど、深い友情で結ばれた仲間たち。極端にいえば、テクニックや知名度は関係ない。その姿勢は、ホームグロウンという言葉をイメージさせるものだ。
第59回 NEIL YOUNG with VARIOUS ARTISTS  / THE BRIDGE SCHOOL CONCERTS / 25TH ANNIVERSARY EDITION
第59回 NEIL YOUNG with VARIOUS ARTISTS / THE BRIDGE SCHOOL CONCERTS / 25TH ANNIVERSARY EDITION ニール・ヤングが長年熱心に取り組んできた社会的活動のひとつにブリッジ・スクール・コンサートがある。オーガナイザー/プロデューサーとして、カリフォルニア州マウンテンヴューのショアライン・アンフィシアターで最初のコンサートを実現させたのは、1986年10月。翌年は行なわれなかったが、88年に第2回をオーガナイズして以来、毎秋同会場で、複数のアーティストが参加するコンサートを開催し、着実に実績をあげてきた。27回目となった昨年は、CSNYが1時間以上のライヴを聞かせたことでも話題を集めた。
第58回 NEIL YOUNG / LIVE AT THE CELLER DOOR
第58回 NEIL YOUNG / LIVE AT THE CELLER DOOR オリジナル・アルバムの制作やコンサート・ツアーとは別に、ファーム・エイド、ブリッジ・スクール・ベネフィット、リンクヴォルト、PONOなど、さまざまな分野のプロジェクトに精力的かつ意欲的に取り組んできたニール・ヤング。それらと並行して、ここ数年、彼がきわめて熱心に展開しているプロジェクトに、アーカイヴ・シリーズがある。過去50年間、スタジオやステージで残されてきた膨大な音源を、ひどい出来のものも含めて、自分自身の手で、作品化していく。簡単にいえば、そういったプロジェクトだ。その仕事を通じてニールが示してきたリアルな音質への強いこだわりは、今秋いよいよ現実のものとなるPONOへの想いともつながっている。
第56回 NEIL YOUNG WITH CRAZY HORSE / AMERICANA
第56回 NEIL YOUNG WITH CRAZY HORSE / AMERICANA 2012年刊行の自著『ウェイジング・ヘヴィ・ピース』に興味深い一節があった。前年、主にiPadを使って、日記かブログのようにさまざまな想いやエピソードを綴っていったものだが、その導入部でニール・ヤングは、少し前にアルコールとマリファナを完全に断ったと書いているのだ。その結果としてニールは、バッファロー・スプリングフィールド以来はじめて、まったくの素面で曲を書くことになった。何年かぶりでクレイジー・ホースの面々にも声をかけているのだが、意味のある曲を書いて、きっちりとアルバムをつくり上げることができるだろうか?

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