1996年の「生活ほっとモーニング」(NHK)は、放送による名誉毀損が司法に認定された事案として知られている。「熟年離婚」の特集企画で、素顔で出演した元夫の言い分だけを放送した結果、元妻から訴えられ、NHKが敗訴したという事例である。その反省と教訓が番組の制作者に活かされているのかどうか、はなはだ疑問に思う。

 上西小百合衆院議員の「ツイッター炎上騒動」を巡る報道も首を傾げたくなる事案だ。サッカーの親善試合に対するつぶやきがネット上で物議を醸したというだけの話である。さっそく多くの情報ワイドショー番組が飛び付いた。ネット上の騒ぎを放送電波に乗せて伝えることに、どれだけの公益性があるのだろうか。「バイキング」(フジ)では、さすがに出演タレントたちから「こんなネタやるんじゃないよ」「取り上げるのがいいかどうか考えるべきだ」と、番組制作側に対する苦言が相次いだ。

●制作者側と視聴者の間に 横たわる意識の溝

 ある民放局で情報番組を担当する幹部に、私の疑問点を質してみた。すると彼は、「視聴者が興味と関心を持ちそうなネタを取り上げるのが基本。それを判断基準にネタを決め、放送で視聴者の期待に応えている。公益性は十分にある」と言い切った。

 だが、大多数の視聴者が松居騒動や上西議員のツイッター炎上に興味を抱いていると本当に言い切れるのだろうか。放送局時代の知人や周囲の人たちにも感想を聞いてみたが、ほとんどが「見たいと思わない」「わざわざテレビが取り上げる必要がない」という答えだった。

 著名人の醜聞は人の耳目を集めやすいが、最近の視聴者は賢くなり、「何でもかんでも」面白がるわけではない。情報の価値と公益性をきちんと見抜く力を備えている。その一方で、相変わらず制作者側の判断基準は視聴率という数字にしかない。謙虚さの欠如と無反省、そして驕り――どこかの国の政権の支持率急落とダブって見えて仕方がない。

※『GALAC(ぎゃらく) 10月号』より

伊藤友治(いとう・ゆうじ)/元毎日新聞アフリカ特派員、元TBSロンドン支局長、元TBS外信部長