昨年から続いている田中角栄本ブーム。本書はしかし、それらとはちょっと違っている。田中眞紀子『父と私』。自身の人生をふり返りつつ、政治家としての父の姿も書きとめた回顧録である。

 なにせ父も娘も激しい毀誉褒貶にさらされてきた人物だ。思うところはいろいろあるが、田中政治もいま思えば、そう悪くはなかったのかという気がしてくる。

 たとえば「日本列島改造論」について。国土の破壊だ、地元への利益誘導だといった反発が当時は激しかったが、角栄は娘の疑問に答えていった。〈道路を整備し、トンネルを掘り、橋を架けることは、雪国に住む人々の権利を守るうえで不可欠なことなんだよ〉。つまり列島改造論は〈大都市偏重だった国土政策を抜本的に見直し、地方に光を当てることで日本全体の成長を意図した国家ビジョンの下、とくに「地方分散」にこだわった〉結果なのだと。

 あるいは日中国交正常化について。1972年、中国に旅立つ前、角栄は娘にいった。〈お父さんは、かつて中共と呼ばれ、その実体がほとんど知られていない隣国へ、日本の戦後処理と、新しい日中関係を拓くために乗り込むことにした。何が起こるかわからん〉。それは国内外の激しい反対を押し切っての訪中だったのだ、と。

 娘の結婚式で〈今後、直紀君が眞紀子に対して料理や掃除など家事一切を普通の女性並みに求めてもらっては困るのであります。そういう教育はまるでしてありません〉とスピーチし、列席者を驚かせた父は、いつも茶の間で政治の理想を語っていたという。

 まあ娘の欲目がないとはいいません。が、そこは自身も政治経験者。現政権に対する彼女の評価はきわめて厳しい。原発事故後の被災者対策や、沖縄の民意を無視した米軍基地の移設問題や、戦争責任と向き合わない現政権をさして彼女はいう。〈私が今最も憂慮していることは、我が日本国の舵取り人の“才覚”である〉

 あんたにだけはいわれたかないよ、と当の「舵取り人」はおっしゃるでしょうけどね。
週刊朝日  2017年6月9日号