去場安(さりばあん)は25歳。明治4年、9歳のときに岩倉使節団の留学生として渡米、最高の教育を受けた後、20歳をすぎて帰国した。が、女子教育に専心したいという願いがかなわず消沈していた矢先、青森県弘前町の男爵家から伊藤博文経由で「娘の教育係になってほしい」という依頼が来る。令嬢の名は介良れん。6歳になるれんは、見ることも聞くことも話すこともできなかった……。
 ちょっと待って。これってもしやヘレン・ケラーとアン・サリバンを描いた『奇跡の人』の日本版?
 はい、ご明察。原田マハ『奇跡の人』は明治20年の津軽を舞台に、盲聾の少女が言葉を習得するまでを描いた異色の長編小説だ。1歳で視覚と聴覚を失ったれんは3歳のころから蔵に閉じこめられ、虐待に近い扱いを受けていたが、安の強力な指導でしだいに心の扉を開いていく。だが、介良家はれんの存在を隠したがった。長男の縁談が進んでおり、障害のある娘は邪魔だったのである。
 とまあ、そんな設定ではじまる物語は試練の連続。娘の行儀さえよくなればいいとする父と娘をひたすら甘やかす母によって、開花しかけたれんの能力は何度も後退し、安は深い苦悩の中に沈んでいく。
 ふざけているのは去場安、介良れんという名前だけ。ヘレン・ケラーの物語とはまた違ったドキドキの展開が待つ。ことに「ボサマ」と呼ばれるこの地独特の門付け芸人で、10歳になる盲目の少女キワとれんの友情は涙なしには読めませぬ。
〈おら、れんさと一緒にいで。れんさのそばに、いで〉と望み、安の希望でれんと一緒に手文字を習得するも〈おら、れんさと、こんなふうに一緒にいたら、いけねえ。れんさまで、意地悪言われる〉と思い続けて去ったキワ。〈あの……もひとつ、唄コ、唄っでもええが〉なんていう津軽弁にやられた!
 津軽三味線の名手であるキワとれんははたして再会できるのか。『奇跡の人』という表題に納得がいく実話みたいなフィクションである。

週刊朝日 2014年12月12日号