希代の悪法・特定秘密保護法案が今国会で成立しようとしている。1年前の衆院選で安倍自民党を大勝させた結果がコレである。どんだけ歴史に学ばない国なんだろう。
 半藤一利+保阪正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』はこのタイミングでこそ読んでおきたい本。昭和史の碩学2人が戦争に突入するまでのメディアの状況を語り合った、戦慄を誘う対談である。
 明治の初期には反政府的だった新聞は、日露戦争を境に体制に擦り寄っていく。〈日露戦争で部数が伸びたことは、新聞各社の潜在的な記憶として残ったんですね〉(保阪)。昭和6年の満州事変で新聞が一朝にして戦争協力の論調に変わったのも〈商売に走ったんですよ〉(半藤)。
 主たるテーマは、戦前の日本がいかなる過程を経てモノ言えぬ国に変わっていったかだ。昭和7年の5・15事件で「義挙」の名の下にテロを容認する雰囲気が醸成され、昭和8年には新聞紙法が、9年には出版法が強化されて検閲に拍車がかかる。国定教科書が改訂され〈ススメ ススメ ヘイタイ ススメ〉という文言が登場したのも昭和8年。教育と情報の国家統制が進み、特高警察の設置によって言論が封殺され、一方では暴力が横行する。ジャーナリズムはそれに〈全く乗っかっちゃった〉(半藤)。〈尖兵(せんぺい)になったという側面さえありますよね〉(保阪)。
 ゾッとするのは昭和初期と現在との驚くべき類似である。教科書検定制度の見直し、内閣法制局やNHKへの人事介入、昭和15年の皇紀2600年祭にも似た主権回復の日の式典。幻に終わった東京五輪。
 歴史を顧みれば、ことは特定秘密保護法案による情報統制に終わらないように思えてくる。〈対米戦争を始めてしまったとき、軍の指導者には知的な訓練のできている人はいなかった〉(保阪)。軍人や官僚だけでなく〈日本人全体がバカだったと思うんです。ジャーナリストもその中に入ります〉(半藤)という言葉を私たちは噛みしめるべきだろう。

週刊朝日 2013年12月13日号