疾走しているようだ。
 スゴイな説経節って。山椒大夫とかそういうドロドロした悲惨で残酷な恨みを晴らす物語だ……という知識ぐらいしかなかったが、こりゃ娯楽になるわ。三味線をべんべんとかき鳴らし、悲惨な残酷物語をうなる。で、その物語というのはだいたい「道行き」物で、当時は遠いところに旅行するなんて「一生に一度できたらいい」ような大イベントだったから、旅行の様、観光地(当時では神社や寺や遊郭)の様を、説経節が教えてくれる。それも、ただほのぼの旅行するわけじゃなくて、人買いにダマされるとか売られるとか折檻とかの、人の心をさらにワクワクさせる残酷絵図が繰り広げられる。そこに仏教説話も織り込まれて聞いているだけでありがたく、そして最後にはヒドイ目に遭い続けた不運の主人公は、恨みを晴らして成仏する。今も昔も人はこういうのが大好きなんだ。
 本書の眼目は、中世の庶民の、いわば「きれいじゃない」生活を説経節の中から読み解くというものだ。作者の塩見さんは浅草弾左衛門の本などを出している人だし、差別問題としての中世の被差別民のことを書いてあるとばかり思ったが、読んでるとまずもって「説経節のパワー」に持っていかれる。
 ここで材料になっている『小栗判官』は場面場面がえぐくて、ウケ狙いのような悲惨な事件が起きる。全体の流れだけ見ればけっこう冗漫。しかし、基本が「道行き」なので、「悲惨な理由で旅に出る→道中悲惨な目にさらに遭う→道中いろいろある→目的地到達で大団円」と、終わってみれば「大河に身をまかせた」感で満足するという仕組みだ。最近のNHK大河ドラマが、放映一回ごとにプチクライマックスを持ってくるのがウルサイと怒っていたが、説経節の伝統からいけばじつに正統的なやり方だったわけですね。
 オグリといえば猿之助のスーパー歌舞伎だけど、アニメやミュージカルで荒唐無稽にガンガンやるともっとかっこいいとみた。

週刊朝日 2013年2月1日号