イラスト:佐野文二郎
イラスト:佐野文二郎

 しかし、ヤクルトの栄華も長くは続かない。翌79年は開幕早々、チームは絶不調。広岡監督はシーズン途中で休養、そのまま退団の憂き目にあう。80年こそ2位に躍進したヤクルトだが、81年から90年までは10年連続Bクラス。野村克也による黄金時代到来まで、長きにわたる雌伏の時は続いていた。

 鶴岡一人監督時代に黄金時代を誇った南海ホークスは、野村克也兼任監督時代の73年に優勝したのを最後に、長期低迷期に突入。80年代に入ると、80年6位、81年5位、82年6位、83年5位、84年5位、85年6位、86年6位、87年4位、そして88年は5位。この年限りでダイエーへの身売りが決まり、戦前からの「名門南海」に終止符が打たれた。その後、「ホークス」の名はダイエーから、ソフトバンクに受け継がれ、令和期には他を寄せつけない黄金時代にある。

■90年代は阪神、00年代は横浜、いつの時代も、暗黒期球団が

 90年代暗黒時代の主役は阪神だった。92(平成4)年こそ、シーズン終盤までヤクルトと激しい優勝争いを展開して2位になったが、それ以外はずっとBクラスに低迷。この間、何もかもがチグハグだった。92年オフに野田浩司とオリックス・松永浩美の大型トレードを敢行するも、野田は移籍先で最多勝に輝き、獲得した松永は在籍わずか1年でダイエーにFA移籍。大損となった。また、97年に入団した期待の新外国人、マイク・グリーンウェルは実働7試合の出場のみで、「神のお告げ」で緊急退団。暗黒時代を象徴する出来事として語り草に。99年、ヤクルトで黄金時代を築いた野村克也を監督に迎えたものの、99~01年までの在籍3年間はいずれも最下位。野村は晩年、「阪神監督を受諾したのは生涯の失敗だった」とボヤくことになる。

 98年のロッテは何もかもがチグハグだった。特に6月13日から7月18日にかけては、打つ手打つ手がことごとく裏目に出て、現在も記録となるまさかの18連敗。エース・黒木知宏を先発から抑えにし、再び先発に配置転換するアタフタぶり。7月7日、9回二死からオリックスのハービー・プリアムが同点2ラン。マウンド上でガックリとひざをつき、涙目になっているジョニー黒木の姿は今でも多くのファンの記憶に残っているはずだ。

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巨人にとっての「唯一の暗黒時代」とは