撮影:狩野剛史
撮影:狩野剛史

■民族衣装が持つ深い意味

 狩野さんがベオグラード空港に降り立ったのは19年10月。空港からは地平線まで続く広大な農村地帯を走り抜けていく。リリアナ、ドラガン夫妻の家は昔の街並みが残る中心部から離れたノビサド郊外の一角にあった。

「ノビサドは関西でいうと、京都に近いイメージ(狩野さんは奈良で育った)。ベオグラードよりもハンガリー国境に近いので、初めて来た人にも慣れている感じがしました」

 市内の文化施設で写真展を開催し、東京の下町、深川を写した作品を展示したほか、高校を訪れ、深川の写真を見せながら日本の文化について生徒に語った。

 狩野さんが申請した撮影活動は「民族衣装を撮る」ことだったので、地元の民族舞踊団を取材した。

 その一枚がこの記事の冒頭にあるメインカットで、五つの地方のセルビア人の民族衣装が写っている。

 実はこの衣装、セルビア人にとって非常に深い意味を持っている。というのも、この衣装にはさまざまな民族との争いや帝国に支配された記憶が刻まれているからだ。

 例えば、画面左の女性が身に着けた「グルメチュ」地方の赤い衣装。現在はボスニア・ヘルツェゴビナ北西部の地方なのだが、旧ユーゴスラビア時代、ここには多くのセルビア人たちが暮していた(かつてオスマン帝国への防衛ラインを築くため、セルビア人が入植したことに由来する)。しかし、90年代の内戦のさなかに起こった陰惨な「民族浄化」によって、この地に住んでいたほぼすべてのセルビア人は難民となり、姿を消した。

 この衣装で踊るとき、セルビア人たちは失われた故郷を思い、胸を熱くする。

撮影:狩野剛史
撮影:狩野剛史

■彼女たちの人生と街の復興

 この写真に写る女性が全員20代というのも感慨深い。彼女たちはこの街に灯火管制が敷かれ、空襲警報が鳴り響いたころに生まれ、爆撃によって破壊された橋や建物を日常の風景として目にしながら育ってきた。

 民族衣装は彼らの誇りであり、中世から受け継がれてきた脚本に沿って踊るという。そこに感じられる強い民族意識。しかし、他民族を受け入れる寛容の精神がなければ、この実り豊かな土地にまだくすぶっている戦火がまた燃え広がりかねない。そんな思いを強くした。

(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】狩野剛史写真展「民は、未来を描く-セルビアの心-」
ニコンプラザ東京 THE GALLERY 5月25日~6月7日